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2005.08.24

ドイツ北東部ぶらーり旅(10)

付録・ドイツ列車事情

 JRのように、ドイツ国鉄も民営化されていて「ドイツ鉄道株式会社」(Die Bahn)になっています。
 もちろん、元の東西ドイツの鉄道は統一されました。
 
 それとは関係ないですが、ドイツの鉄道も非常に変わりました。
 ・コンパートメントの仕切りは透明になって、外からスケスケ。
これは、テロ対策なのかも知れませんね。
 ・大幅に自動化されて、以前、渾身のチカラをこめて「エィ、ヤァ」とがんばらなければ開かなかったドアなどもすべて自動化された。
 ・日本並みの車内放送をする。(次は、どこそこ。こちらとアチラ方面へお越しの方はお乗換えです。お出口は進行方向右側です)などと。
 ・おまけに、日本式にチャイムやオルゴールで合図をする。

 ---昔、高名な評論家が「ヨーロッパの鉄道は静かでいい。日本も見習うべきた」と主張しておられましたが、何のことはない。あちらが日本の真似をするようになったのですね。

 なお、ドイツ鉄道フリー切符は出発前に日本で買うのですが失敗したなーーーと思ったのは柄にもなく「一等車」用なんか買ったことです。地方の名もない支線では「一等車」がついていなかったり、ついていても「二等車」と変わりない列車が多かったりします。インター・シティーや、国際特急では、「一等車」と「二等車」差は、ものすごくおおきいのですが。今回のようなドサ回り旅行ではあまり乗る機会がなかったのです。ただ、車内をあちこち見学するためには必要だったのですが。

 以上、長々と書いてしまいました。
 お読み下さってありがとうございます。

 愚兄に「最後までお読みいただいた方には、ソーセージの1本くらいお礼させていただこうかしら」と申しましたら「ソーセー」と。
 お粗末でございました。

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2005.08.23

ドイツ北東部ぶらーり旅(9)

《急告》拙ビデオをどうぞ

 この旅行で撮影しましたビデオを一応編集しまして、私の所属します「メロウ倶楽部」のサイトに置かせていただいています。どうぞ、ご覧くださいませ。URLは下記です。

 http://www.mellow-club.org/hikaru/top-d/new/new.html

 ゴスラー・鉱山の富みで栄えた魔女の街

 あの「箒に乗った魔女」のキャラクターの生まれ故郷はここと言うことになっています。

 山の中の小さな町なのですが、中世から銀山と、神聖ローマ皇帝の居留地として繁栄しました。ここも戦災の影響をほとんど受けていません。そして例の木組みの家並みの美しい街です。

 前日の好天がうそのような曇天で、いまにも降り出しそう。
 ここでのお目当ては「カラクリ人形」です。
 マルクト広場で一日何回かパフォーマンスがあります。
 この正午の部を参観しようと、時計をみながら始まりを待っていました。
 人ごみのなかで、ビデオカメラを高々と掲げていた、その腕がだるくなりかけたころ、やっと始まりました。
 当時の鉱山の模様を表現したーーーといわれていますが、グロッケンシュピールのメロディーに乗って人形が現れるというきわめて素朴で、地味なものです。goslar

 でも、これがよかったです。このメロディーは土地の民謡らしく、何人かが口ずさんでいたのもよかった。

 マルクト広場にある15世紀の建物。これが、いまは「カイザー・ヴォールト」というホテルになっています。また、これがハデハデしいというかケバケバしい色に塗りなおしているのが周囲の風景から浮いてしまっていておかしい。
 でも、お昼はここのテラスでいただきました。
 またまた、デザートはアップフェル・シュトゥルーデルでした。

 魔女はどうかって? 当節、あの箒にまたがった魔女は観光のマスコットになっています。majo

 山頂にはいませんでしたが、ハルツ地方の観光地の土産物屋には、たくさんいます。
 とくに、「ゴスラー」は魔女の街を標榜している。
 なかには、足の裏を突っつくと「キャッキャッ」と陽気に騒ぐ魔女人形まで現れました。
 「恐い」というイメージのものはなかったですね。uruwasi


 もう一つ、この街の観光資源は「藪医者の鉄ひげ博士」。
 17世紀、ここに「アイゼンバート・センセイ」というお医者さんがおられた。研究熱心でいつも、新しい治療法を考えるのはいいのですが、目立ちたがり屋で、群衆の前で公開治療のパフォーマンスをする。
 そりゃ、まあ、失敗することもあったでしょう。

 鉄ひげセンセイにかかると
  目の見えない人は、歩けるようになり
  歩けなかった人は食べられるようになる。

 などとはやし立てられていたようです。

 今も、街の目抜き通りの二階から、大きな注射器を持った博士の像が観光客を見下ろしていますし、お寺の墓地には、センセイのお墓があります。
 もし、このお墓のなかのセンセイがご自分をバカにした街の人たちの子孫が自分を「観光名物」にしてお金を稼いでいることを知ったら、なんと思われるでしょう。

 日本でも「一村一品運動」というのがありました。
 我が村に、その地方に鳴り響いた「藪医者センセイ」がおられたという記録があったら、観光資源として活用できるかもしれません。
 なんですって、名医がおられた? そりゃダメです。yabu

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2005.08.22

ドイツ北東部ぶらーり旅(8)

ヴェルニゲローデ・おとぎの街

 駅を降りたときから、あなたは、もう「おとぎの国」の住人。
 駅舎も、オトギチックで可愛いのである。
 
 クヴェドリンブルグといい、ここヴェルニゲローデといい、たしかに、ハルツ地方は、ロマンティク街道なんかより楽しいし、新婚さんやフルムーンには受けると思います。
 マルクト広場のとんがり屋根の市庁舎も、周囲の木組みの家とよくマッチしていて可愛いい。

 ヴェルニゲローデ伯爵の居城であったヴェルニゲローデ城へは、ビンメルバーン、シュロスバーンと称する色とりどりの観光列車風の乗り物で行く。
 遊園地のおサルの電車みたいなものです。
 運転しているのは、人間です。
 汽車ポッポの形をした先頭車が、木箱のような小さい客車をいくつか引っ張っていく。狭い路地みたいなところも通れる。
 ヨッロッパの観光地、特に、狭い道の入りこんだ旧市街で活躍しています。
 馬車でも行かれますよ。basha


 帰路は、森の中を下って歩いて街にもどってみた。ハイキングコースのように、よく整備されていた。

 レストランのメニューもおしゃれ。ギャル好みで、味より見た目を大切にしている。
 季節の味覚、アスパラガスはさすがだが、デザートのフルーツコンポートは凝りすぎ。
 イチゴ、ビスタッチォはいいが、ここにもアスパラガスが入っている。おまけにシロップにはシャンパンが入っている。
 ちょっと、やりすぎじゃあないかしら。


SL列車(ハルツ狭軌鉄道)で「ブロッケン山」へ・その1

 ドイツは南部のヨーロッパアルプスの一部となっている地方以外、あまり高い山がない。
 海抜1142メトルのハルツの「ブロッケン山」は周囲に山がなく、そこだけポツンと高いのでかなり目立つ。

 「ブロッケンの妖怪」をご存知でしょうか。霧の中で太陽を背にして立ったとき、逆側にある霧で光が散乱され、その人の巨大な影の周りに虹の輪が現れる、単なる自然現象らしいのですが昔の人は恐れていた。
 
 おまけにブァルブルギスの魔女の祭りでよく知られているように、年一度魔女の世界大会が開かれていた、すなわち魔女の住む山としても恐れられていた。

 ところが、東西ドイツ統一前は、妖怪や魔女より、もっと恐いものが出現したのである。

 すなわちブロッケン山の山頂に「旧ソ連軍の駐屯地」と「東ドイツ秘密警察のレーダー施設」があったのである。
 もちろん、普通の人間は立ち入り禁止になっていた。
 こうなると、妖怪も魔女も逃げ出してしまう。

 これが統一後、SL列車の走る観光の拠点となり、毎日、多数の観光客が押しかけてくるようになった。
 今の人たちは、妖怪を恐がらず、「魔女」を可愛いという。これでは、妖怪も魔女も調子が狂ってしまう。
 彼女たちは土産物屋で働かされているのである。
 「ほら、ホウキなんかにのって遊んでいる場合じゃないよ。店先の掃除をしなさい。掃除を」なんて。

 今は、山頂には「テレビ塔」のほか「博物館」「ハイクングコース」などのレジャー施設がある。

 なお、ヴェルニゲローデの市内に、鉄道模型屋さんがあり、ここでハルツ狭軌鉄道の模型を走らせている。これが、また楽しい、オコチャマにまじって半時間も眺めていた。mokei


 そして。これはホンモノそっくり。お土産のティーシャツを買って店番のオバサンの歓心を買い?ビデオをとらせてもらった。


SL列車(ハルツ狭軌鉄道)で「ブロッケン山」へ・その2

 ドイツでも、国鉄は民営化されていて「ドイツ鉄道株式会社」(Die Bahn)になっています。
 これは、JRのようなもの。ハルツ狭軌鉄道は、箱根登山鉄道のような最初から民営の鉄道会社です。
 だから、ここも「ドイツ鉄道フリー切符」は通用しません。
 ただ、ここも日本語のパンフはしっかりご用意していました。
 ここで、私の乗ったSLもアタマが「99」のものでした。
 そうそう、知らなかったのですが、SLというのは、日本製の略語なのですね。
 この会社で一番古いものは、1897年製。1950年代製造のものが50台あるそうです。

 機関車というのは人間的ですね。
 精一杯がむしゃらに急勾配を登っていく姿。
 「ポォツ」という悲しげな声。ときには「ハツ」というため息をつく。kisha


 そんな健気なSLが、森林の中を抜け、渓谷に沿って走り、草原をひたすら走ってブロッケン山にのぼるのですから、もうワクワクします。そして、煤煙で汚れるのも厭わず、ビデオカメラをまわし続けたのでした。
 ところが、「ここぞ」という景色で、撮影しようとする私の前に、背の高いアンチャンが必ず登場するのです。そして、私のカメラの前に立ちふさがる。本人は別に私の邪魔をするつもりではないのでしょうが結果的にはそうなるのです。
 今度こそーーー張り切っていると、また邪魔をされる。そんなゲームをやっているうちにブロッケン山頂駅に着きました。

 その日は快晴で、ブロッケン山から遥か遠くまで見晴らせました。
 もちろん、ブロッケン現象の起きる余地もありません。

 この山頂の屋台の名物は「豆のスーブ」。
 レンズ豆、豌豆などいろいろな豆をぐつぐつ煮込んだどろっとしたスーブ。suupu

 それに、大きなソーセージが突き刺さっていました。
 晴天でも、山頂の風は冷たい。熱いスープは山頂散歩でカラダの冷え切った人たちを暖めてくれます。

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2005.08.21

ドイツ北東部ぶらーり旅(7)

クヴェドリンブルグ・日本へ片思いしている街

 この街が観光地として注目され始めたのはドイツ統一後である。
 神聖ローマ帝国揺籃の地であり、観光資源に恵まれていたにもかかわらず旧東ドイツのテリトリーであったころには、国境に近かったため、外国人観光客の立ち入りを歓迎していなかった。
 
 幸い、第二次大戦でほとんど被災していない上に、観光客も来ずにひっそりと暮らしていたので、古い町並みが丸ごと保存されている。
 統一後の1994年、ユネスコの世界遺産に指定され、大いに観光地として売り出そうと張り切っている。

 ホテルの朝食時「オハヨゴザイマス」と聞こえた。どうやら日本語である。
 客室にある「ホテルのご案内」のなかにも日本語のリーフが挟まっていた。
 教会拝観のため入場券を見せると受付係りが大騒ぎしている。「ほら、日本人が来たわよ。あの日本語の説明書、どこへしまってあるか知らない?」ということらしい。
 しばらくして、2ページものの日本語による「ご案内」の紙切れが出てきた。ただし、読んだら持ち帰らずに返却してほしいとのこと。

 ホテルのオバサンがいう。
 「ドイツ南部のロマンティッシュ・シュトラーセなんて日本人でいっぱい。どうしてもっとハルツに来てくれないのかしら。いえいえ。我々も努力はしています。日本語のパンフもいろいろ作っているんですよ。
 ところで、どうですか、いいところでしょう、ここは。どうぞ、日本の方に宣伝してください」と。
 ---みなさーん、ハルツ地方へ行きましょう。
 
 ちなみに、ロマンティッシュ・シュトラーセが当たったというのでドイツの観光地は、ナントカ街道という名前をつけまくっています。
 「メルヘン街道」「エリカ街道」「ゲーテ街道」「ファンタスティック街道」「アルペン街道」「古城街道」エトセトラ。
 果たして、柳の下から、2匹目の泥鰌が出てくるのでしょうか。queve1


どこかおかしい・クヴェドリンブルグの人たち

 カメラ持参でこの街を訪れると普通の観光地の2倍は写真がとりたくなる。
 色とりどりの木組みの家並み。敷石を敷き詰めた道路をのろのろとクルマが行く。
 まず、鉄道の駅からしてオトギチックなのである。otogieki

 周囲は、初夏の緑に映える山々。

 街中、絵になるところである。
 おまけに、どこを歩いていても「小鳥の声」が聞こえてくる。

 また、ドイツ人にしてはこの街の人はどこかのんびりしている。
 博物館の入り口でサイフを開けていると「お釣りがないの。細かいものはない?」と手振り身振りで聞かれる。
 カウンターのなかをのぞいて分かった。
 お釣りがしまってある机の引き出しに何か引っかかって開かないのだ。(よくあることですね)
 受付のオネエサンたちが、定規を差し込んだり、机をガタガタゆすったり四苦八苦。
 屈強の男性が呼ばれてきたがラチがあかない。
 10分くらい待たされて、結局、土産物屋さんにお金を崩しにいってくれ、やっと入場券が買えた。

 次に、解説はビデオでご覧に入れますーーーというので、他の見学者と一緒にテレビの前に座る。
 ところが画面は白黒。しかし、それが不思議と中世の世界にマッチしている。「なるほど、わざとモロクロで作ったのだ」と感心していると係りの女性がやってきて「あらあら」みたいなことをいいながらリモコンのボタンをあれこれいじり始めた。一向に直らない。別な女性を呼びに行ったりとーーーまた騒ぎが始まる。ビデオが終わりそうなころに、やっと画面がカラーになった。やれやれ。
 
 カフェでも、スプーンとフォークを間違えて持ってきたり。一生懸命にやっているのに、どこか抜けている。
 でも、こういう人たちって好きです。

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2005.08.20

ドイツ北東部ぶらーり旅(6)

SL「Molli」に乗りに

 イギリスはいわゆる保存鉄道のメッカといわれているが、ドイツにも、通年営業運転しているSL列車がいくつかあるようだ。今日は、その一つ、ロストックから列車で20分ほどのバート・ドーベランからバルト海に面したキュールングスホルンまで走っている狭軌のSL(99系というのかしら)・愛称「Molli」に乗りに行く。

 普通の鉄道の駅と並んでSLのホームがあり、すぐ分かった。
 毎日、1時間1本くらいの割合で8両編成で走っている。
 これがなかなかの繁盛で、ホームには老人クラブの団体さんから、子供連れまでのお客さんでいっぱい。普通の鉄道より流行っているようだ。
kisha


 ぼつぼつモッリー君が車庫から姿を現す時刻らしい。ホームにいる人たちがカメラを構える。
 ああ、こういうときのためにビデオカメラを持参したのである。
 いつ、お出ましになるか分からないからスイッチをオンにしたカメラを構えて待っていなくてはならない。
 モッリー君は、高々とビデオカメラを掲げている手がだるくなったころ、堂々と登場してくる。スターの風格がある。
 姿もだが、あの「シュッ、シュッ、ポポポー」という音。なんとも言えないなぁ。
 客車は木造。でも最後尾には、イベント用の車両がついている。貸切にして宴会列車として使ってもらうだめだ。
 わざわざ、オバサン車掌さんが案内してくれた。

 さすがに、ドイツ人も、イギリス人もはしゃいでいる。
 イギリスの団体さんに、ボランティアのオジイサンが解説役を買って出ている。

 「しゅっ」という音で走り出す。
 わが街の「江ノ電」同様、商店街の真ん中を通っていく。街なかを通るときは「チンチンチンチン」と警報を鳴らしつづける。

shashou
 住民は、さぞかし、煙く、うるさいことであろう。
 街なかを通り過ぎると、少しスピードを上げる。
 「しゅっしゅっしゅっ、ぽっぽっぽっ」と20分も走ると最初の駅についてしまう。
 SLに乗るだけの目的で来た私は反対側から来た登りの列車で、また「シュッシュッポッポッ」と元の駅に引き返したのであった。

 それにしても、どうして、いま、SLに魅かれるのであろう。
 子供のころ、蒸気機関車が引っ張る地元の播但線がダサく感じられ、すでに電化されていた山陽本線に憧れていたのに。

『北海岸からハルツ地方へ、5本の列車に乗り継いで』

 日本にいても、ドイツ鉄道(DB)の時刻表はウェブサイトで調べられる。
 ドイツ版の「駅スパート」か「乗り換え案内」のようなものが使えるのだ。使い方は日本のと同じ。
 北海岸のロストックから、ハルツ地方のクヴェルトリンブルグまでの行き方はすでに調べてある。
 サイトのシュミレーション結果のご託宣によると、最短時間で行くには、5本の列車を乗り継いでいかなくてはならない。そのかわり5時間15分で着きますよーーーと。
 普通の行きかただと、6時間以上かかります。

 もともと、ここらは旧東ドイツのテリトリーで、しかもハルツ地方は東西の国境に近かったところ。便利のよくない場所なのである。

 ウェブサイトから拾える情報には限界があるーーーというのも、これだけでは、どこの駅の何番線から、どこ行きの列車に乗るべしーーーという詳細は分からないのだ。
 でも、心配ご無用。ヨーロッパ各国の鉄道の駅には、インフォーメーションセンターがあり(ここだけは英語が通じる)、親切に応対してくれるから。
 ロストックの駅でも窓口のオバチャンが私がプリントしてきたものをみながら慣れた手つきで端末をたたく。そして詳細をプリントアウトしてくれた。
 オバチャンは、各項目をエンピツでさしながら「リッスン・トゥ・ミー、よくお聞き」とはじめる。
 ・ まずは、ロストックから急行でシュベリーンまで、1時間くらい乗るの。
 ・ 乗り換え所要時間は8分で、同じ3番線に来た、ルードウイッヒルスト行きに乗り換えてね。
 ・30分ほど乗っているとヴィッテンブルグにつきます。ここから1駅分だけ国際特急のプラハ行きへ乗りなさい。
 ・次のマグデブルグ駅では乗り換え時間は、たった5分よ。しかも、クヴェルトリンブルグ行きは、ちょっと離れたホームからの出発だから気をつけてね。

 そうそう、ホームが突然変わることもあるのよ。おかしいと思ったら駅員に聞いてね。

 おおっ。大変だぁ。でも、面白そう。

 たしかに面白いが落ち着かない。17分程度しか乗らない列車が多いから、ゆっくり出来ない。
 すぐ降りられるように入り口に近いイスに腰掛けて、時計と睨めっこ。

 それに、国際特急には憧れの正式の食堂車もついているのに。
 でも、17分の乗車時間じゃ、コーヒーだってゆっくり飲めやしない。
 
 こういうとき、身軽に動けるリュックサックはありがたい。
 その日は、リュックを背中に、ホームへの連絡階段を降りたり登ったりで一日が終わった。

 なお、6時間以上かかってもいいというのであれば、ロストックからベルリン、ベルリンからマグデブルグ、マルデブルグからクヴェドリンブルグと乗り継いでいけば、乗り換えは二度で済みます。

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2005.08.19

ドイツ北東部ぶらーり旅(5)

『リューベック・川巡り遊覧船』

 はじめ、ハンザ都市というものは、外洋に面したところにあるのだとばかり思っていた。
 が、実際は、キール(ハンザ都市かどうかということについては異論もあるらしいが)も、リューベックも、ロストックも海からかなり川を遡ったところにある。
 とろこで、リューベックの場合は、トラベ川、トラベ運河の中州にあるといっていい。
 だから、街の見物には遊覧船で川を一巡りするのが便利。
 遊覧船の会社もいくつかある。

dasende


 一時間かけてまわるのだが、トーマス・マンご幼少のことろと変わっていないと思われる倉庫群。港湾設備、各国の貨物船、オイルタンクなどの産業設備。静かな流れ、レジャーボートなどて賑わっているところと、街のいろいろな表情が見られて面白かった。
 ただ、説明はドイツ語だけ。ドイツ人というのは、やたらに数字を並べ立てるのが好きなのですね。ナントカ・カントカ・ツバンツィッヒなどという言葉の端だけが耳に残った。

 海岸のリゾート地『トラベミュンデ』

 そのまま駅から、郊外のリゾート地、トラベミュンデへ電車で。
 ドイツ鉄道フリーキップは、電車区間には使えない。
 ---というわけで電車の切符を買わなくてはならない。ここで大失敗した。
 切符を買うというのは大変。言葉が分からない上に、制度というかシステムも分からないから。
 また、列車用の切符の自動販売機の使い方は知っていたが電車用の自動販売機の使い方は使い方は知らない。
 そこで、インフォーメーション・センターへ。ヨーロッパではどこの駅でも、インフォーメーションセンターだけは充実している。そして英語が通じる。
 「トラベミュンデですね。いいですか。まず人が一人立っている絵をクリックします。
 その次の画面では「1」を押してください。次は「3」です。それから、画面に表示されている金額のお金を投入するーーー以上です。分かりましたね。1 と 3 ですよ。
 その通りにやったつもりだった。

 ところが検札に来た車掌さんに「おやおや、これは子供用の切符ですね。今度から大人用を買ってくださいね」といわれてしまった。周りの乗客も大笑い。ただ、罰金は取られなかった。

 間違いの原因は「人が一人立っている絵」が2ヶ所あったのに気がつかなかったため。大きな人の絵と、小さい人の絵。
 大人の場合は「大きな人の絵」をクリックしなくてはいけなかったのだ。

 ヨーロッパの駅には改札口がない。
 その代わり、乗ってしばらくすると必ず検札にくる。
 ただ、一度検札にくると覚えているらしく二度検札をされることはない。
 効率的ではないが、かならずしも悪い制度ではない。
 車掌さんから、乗り換えの仕方を教わったりも出来るし、その応対からお国柄も分かるから。

treve


 トラベミユンデの駅をでて海岸にぶつかるとビーチとなる。
 ブティックやレストランが並んだ遊歩道が延々と連なっている。
 ところがついたとたんに激しい雨と風と寒さ。
 レストランで食事をして早々にリューベックに引き上げた。

ロストックは明るい街

 昨日の雨が、まだ続いている。
 チェックアウトの後、タクシーを呼んで貰う。
 駅まで徒歩20分くらいだけれど、リュックを背負って傘を差してーーーというのはシンドイ。
 
 ロストックは明るい近代的な駅で、駅の地下から、旧市街へ行く路面電車が頻繁に出ている。

 さて、今夜の宿りですがーーー、ロストックの街の中心には「Hotel Sonne」という一流館がある。でも、ここは高そうなので、ちょっとご遠慮申し上げて、その斜め前にある「Die kleine Sonne」にする。それでも結構きれいで明るい。
 しかも、ロストックについたら晴れ上がって太陽が燦々と街の中央広場をてらしはじめた。

 リューベックが万事渋めであったのに対し、同じハンザ都市でも、ロストックはカラフルで明るい。
 街の中心に立ち並ぶ破風屋根の家々の壁の色も様々。
 中央広場からのびているクレペリン通りは「ホコテン」で、広い道路には、私の大好きな屋台がいっぱい。

 なかでも「焼きソーセージ」の屋台が花形。通り全体が香ばしい香りに満ちている。
 とりわけ煙のたくさんでている屋台のオジイサンに「一つ頂戴」という。
 「よし、ちょっと待て。なかまでじっくり焼かないと美味くないからな」とでもいっているのであろう。
 火の上でまめに、ソーセージを転がしている。
 要するにドイツ版・焼鳥屋さんである。
 そのうち「バチバチ」と皮のはじける音がして、いい具合に焦げ目がついてくる。
 この巨大なソーセージを切れ目を入れたパンに挟んでマスタードをたっぷり塗り、ワラ半紙のようなものの上に載せてくれる。
 さっそく立ち食いと相成る。
 ハフハフとほうばりながら「ああ、これこそ、ドイツの味」と実感する。
 その後は、ビールを買って立ち飲みし、最後に、青空市場でサクランボ500グラムを350円くらいで買ってデザートにする。完熟のダークチェリーはびっくりするほど美味であった。
 もちろん、だれも洗ったりしないでクチに入れている。
 これが地元民の標準的なお昼のようだ。

cherry


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2005.08.18

ドイツ北東部ぶらーり旅(4)

クラシックな街『リューベック』で・その1

 若いころは、人並みに外国文学を読んだ。
 トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』『トニオクレーガー』『魔の山』なども。
 (すみません、内容はほとんど忘れました)。
 『ブッデンデローク家の人々』は、単に舞台がリューベックーーーというより『リューベック市』も主役の一人と考えてもいいのではないか。
 折角北ドイツへ行くのなら、寄ってみたいと思っていた街である。
 
 ヤドは「Klassik Altstadt Hotel」にした。
 よく分からないが、名前からして、なんとなくこの街を体験するのにふさわしいホテルと思ったから。
 部屋は空いたいたが、屋根裏部屋的なところである。
 かえって、それがこの街らしくていい。

 街のシンボル『ホルステン門』は改装工事中。
 名所旧跡を旅行していると、いつもその2割くらいは改装工事中で見られないと思ったほうがいいようですね。

 つぎは『ブッデンブロークハウス』へ。

 ここは、トーマス・マンの生家ではない。祖父母の家だったところ。
 トーマス・マンはもちろん、トーマス・マンのお兄さんのハインリッヒ・マン(私は読んだことはないがこの方も作家)とそのゆかりの人たちの写真などが展示されている。
 ちなみに、トーマス・マンは日本にもゆかりがあり、奥様のカチアさんの双子の兄であったプリングスハイム氏は日本の音楽界に功績のあった方。
 そんなわけで展示されている写真などにも親しみが感じられた。

 思ったより、内装も外装も明るい。

 つらつら考えるに、文豪になるためには、お金持ちの家が傾きかかったころに生まれてくるのがいいようだ。
 北原白秋、太宰 治などもそう。
 それから、学校は落第したり、退学になったほうがよさそう。
 優等生でなくても文豪にはなれるらしい。

 話は変わって『マリエン教会』にはあのバッハが音色にほれ込んで通いつめたというパイプオルガンがある。
 これを聴くことはできなかったが、もっとびっくりしたものがあった。

onore

 教会に入り口近くにあった、人目を引く大きなパネル展示。
 もとよりドイツ語は分からないが、世界中のいろいろな宗教についての解説のパネルなのである。
 仏教、ヒンズー教、イスラム教、ユダヤ教のほか、儒教についてのパネルもあった。そしてそこには「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」と漢文で書いてあって、ドイツ語の解説らしきものがあった。
 いまや、イスラム原理主義とキリスト教原理主義が仁義なき戦いを繰り広げている。
 そこで「世界のいろいろな宗教を理解し、自分の宗教・信条を押し付けがましくするのはよそう」と言いたいのであろうか。
 これが、公民館などの展示であれば「なるほど」と思うが、教会にこんな展示があるのにはびっくりした。

 旅をしていると、いろいろ不思議なことに出会うーーーつくづくそう思った。

クラシックな街『リューベック』で・その2

 夕食は、精霊養老院の地下でとる。
 13世紀のリューベックのお金持ちたちはこのような施設をつくるなど社会福祉事業もやったようだ。現在も老人ホームとして使われている。
 市役所なども含めて観光名所の地下には、たいていいいレストランがはいっている。
 ここの地下にも3軒のレストランがある。このなかに「じゃがいも料理専門」のレストランがあった。面白そうなのでここにする。
 
 寒い日だったので「じゃがいもスープ」にする。
 壷形の容器に熱く、どろっとしたスープが入っている。
 煮崩れたじゃがいも、ニンジンなどの野菜。ダシは魚のようであった。

yourouin


 ワインはお勧めの白。

 食べるほどに、段々カラダが温まってくる。

 デザートは「アップフェル・シュトゥルーデル」という舌をかみそうな名前のお菓子。
 早く言えば、アップパイで、ヨーロッパ各地にある。もちろんアメリカにも。
 ただ、それぞれのレストランでの、これへのこだわりはすごい。
 ここのは、リンゴは細かく刻んで入れてあり、パイには、カスタードクリームがかかっている。
 その脇には、黄色い濃厚な味のアイスクリームがついていた。

 お酒もまわってきていい気持ちになる。
 旧市内にヤドをとっていると、こういうときは便利。
 レストランから歩いて2分のホテルに帰ってシャワーを浴びて就寝。

 ああ、そうそう。今回の旅行でフロ桶つきのホテルに泊まれたのはたった2泊。
 米国資本の大ホテルでもない限り、高級ホテルといえども、バスタブはついていないのである。この辺の人には、それが当たり前らしい。


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2005.08.17

ドイツ北東部ぶらーり旅(3)

『U-ボートを見に行こう』その1

 キールへ来たもう一つの目的は、あのU-ボートを見ることにある。
 といっても、U-ボート博物館は、駅から20キロくらい北のバルト海に面したところにある。
 
 ホテルをチェックアウトして、駅へ行き、今夜泊る予定のリューベック行きの列車の発車時刻を確認。ついでに、駅の出札窓口で、『ドイツ鉄道周遊券』のパスポート番号と署名の照合をしてもらってスタンプを押してもらっておく。
 コインロッカーにリュックサックを預けて、バスで博物館のあるラボーの町へ。
 一人旅では、こういう「段取り」が大切なのですね。

 バスは普通の路線バスなので、街道沿いの村々を丹念に回る。
 かれこれ45分もかかった。でも、土地の人たちの暮らしぶりがわかってそれなりに面白い。
 
 バスの終点は、フェリーターミナル。
 運転手さんに「U-ボートは、どっち」と手振り身振りで聞くと、海沿いの道を指差して「15分くらいだ」といっている様子。あっちの人が15分といったときは、コンパスの短いマーチャンでは、25分くらいかかる。
 まあいいお散歩かしら。とはいえ、バルト海からもろに吹き付けてくる強風は厳しい。持参の衣類をすべて身にまとっているのに、寒風が肌に突き刺さるよう。じっとしていられない、急ぎ足で歩いていく。

 途中、コーヒーショップや土産物屋さんなどもあるがお客は入っていない。
 驚いたのは「海水浴場」らしきものがあるのだ。もっと驚くことに、ここでは砂浜に寝そべって甲羅干しをしている人はいない。砂浜のそこここに並ぶ「シュトゥラントゥコルプ」と称する正面以外はすべて塞がった籠みたいな椅子に入って日光浴をするのだそうだ。吹き付けてくる砂や、寒風をふせぐためとか。そんなにしてまでも海水浴をやりたがる人たちが気の毒になった。

 海岸に沿った道を歩いていくと、彼方に「U-ボート」らしきものが見えてきた。
 入り口の脇に窓口のようなものがあったので入場券を買いたいというと「あっち」と道路の反対側にあるドイツ海軍記念館の方をさす。
 正確に言うと、「U-ボート」は、ドイツ海軍記念館の別館のような形になっていて入場券も共通のようだ。

 ドイツ海軍記念館は塔の形をしている。
 なかはすべてドイツ語なので、さっぱり分からない。
 ただ、1939年製のユンカースの模型などの展示は分かる。
 ものの本によると、正面の壁に大きく彫ってあるものは[彼らは我々のために死んだ」という意味だとのこと。早く言えば、宗教色はないが、ドイツ海軍の靖国神社である。
 ドイツという国は、連合国による戦争裁判とは別に、きっちり国内で第二次大戦中のことについての自己批判をやっている。反面、戦死者の慰霊についてもきっちりやっているのかなーーーと思った。慰霊塔は第一次大戦後に作られていてヒットラーも見に来ているようだ。

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 塔の外には、石碑がいつくかあった。そのなかに日本語のものがあった。
 下記のように記されていた。


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ドイチュランド号乗組員の當靖國神社参拝を記念し
境内に於いて育成せる公孫樹をドイツ國戦没英霊に捧げる

 昭和四十年三月
 日本國靖國神社宮司 筑波藤麿

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 そんなことがあったなんて知らなかった。

 詳しいことは知らないが、U-ボートの基地キールと日本とは浅からぬ縁があるらしいということはいろいろな本で読んで知っていた。


『U-ボートを見に行こう』その2

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 ここに展示されているU-ボートは、敗色濃くなった1943年建造の「U995号」。
 外側は巨大だが、なかは、びっくりするほど狭い。
 ことに、兵士の起居する場所は信じられないくらいの狭さ。
 電車の網棚みたいなベッドは日本の子供でもきつそう。
 また、炊事用のお鍋などもびっくりするほど小さい。
 あれが潜水艦での生活なのだ。さぞかしストレスに満ちた毎日であったことであろう。
 ドイツだけでなく、世界中、潜水艦なんてたいていあんなものなのだろうな。

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 帰路は、フェリーでキール運河を遡って駅へ。
 デッキに立つと、寒風にあおられそう。ビデオカメラは首からぶら下げて、ベルトをウデにもしっかり巻き付ける。
 キール港には、北欧各国間を往復するフェリーばかりでなく、世界各国からの豪華客船も停泊している。
 乗客のオバサンが「あれは、アメリカの船よ。世界中を3か月かけてまわっているんだって」と英語で解説してくれた。

 お昼は、駅の簡易食堂でいただく。
 まず、料理の注文の仕方が分からない。
 ワアワアいって教えてくれるのだが、さっぱり分からない。
 きっと、駅の奥まったところにある食堂で地元の人しか来ないのでしょう。そこへドイツ語がさっぱり分からないのが飛び込んできたから大変。

 どうやら、最初にパン籠のなかから好きなパンを選ぶ。
 それをオーブンで暖めて、適当な大きさに切り、付け合せのサラダとともにテーブルに運んでくれる仕組みになっているようだ。

 それと、飲み物は、コーヒーにするか、ビールにするかを決めてほしいーーーということなのです。

 なにしろ、手振り身振りで問答するのですから、コックさんから、お客まで巻き込んでの大騒ぎになります。
 でも、なんとかなるものです。
 香ばしく焼けた平べったいパンのなかにはホウレン草をオリーブ油でいためたものが入っていて割りに美味しかったし、サラダもたっぷりついていた。
 もともと、屋台とか、こういう簡易食堂の食事が趣味に合うのです。

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2005.08.16

ドイツ北東部ぶらーり旅(2)

まずは『キール』へ

 ルフトハンザは、成田の出発も早いが、フランクフルトへ到着するのも早い。
 そこで、フランクフルトで乗り継いで、飛行機でキールへ行くことにした。
 「そんなところに空港があるんですか」と旅行通の人に聞かれた。こういうことにはウェブサイト検索は便利です。
 CIMBER という会社がプロペラ機を飛ばしている。
 これがなんとデンマークの会社。そして、ルフト・ハンザとコードシェアしている。
 
 好きなんですね。プロペラ機。
 あのプロペラが回転し始めて、段々高速化していく、飛び立つに備えて徐々に盛り上がっていくところがなんともいえなく好き。
 
 完全に満席のフライトは17時過ぎ、キール空港に着いた。

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 この日のヤドは、予約してある。
 ミシュランのホテルガイドが「公園の中にある閑静なホテル」と推奨している。いまはインターネットですぐ予約ができてありがたい。

 タクシーで10分くらいでお目当てのホテルに着く。レセプションでにこやかな歓迎を受ける。
 なかなか瀟洒なたたずまいのホテルーーーパークホテル・クライナー・カウフマンといいます。
 部屋のテレビには「Herzlich Willkommen! Herr ZZZZ」と歓迎の辞が出ていた。
 どこかで、ちょっと違っちゃったみたい。

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 ドイツというより「北欧」という言葉がぴったりのキールでは、初夏の5時半といえば、まだ日は高い。
 長いフライトでエコノミークラス症候群になっていてもいけない。荷物を置くと早速お散歩に出かけた。

 ホテルの周りは結構深い森です。
 フェトチントットいっぱいの森の小道を歩くこと5分、突如、視界が開けた。ヨットハーバーである。
 一週間後の「キール週間」にはここで世界中のヨットファンが注目するヨットレースがある。
 だから、ヨットハーバーは、カラフルなヨットで溢れるよう。
 青い空と海。色とりどりのヨット。文字通り絵になる風景であった。

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 キールとヨットとの関わりは長い。歴史は、第一次世界大戦の端緒となったサラエボ事件のころに遡る。
ーーードイツが大海軍の建設を決定したとき、皇帝はドイツ国民に海への愛着を育てることにした。そのため、金持ちのドイツ人はヨットの建造とレースへの参加が半ば強制されたーーーそして国際ヨットレースを開催することにしたーーーという記述があるくらいですから。

 海岸の遊歩道をブラブラしていたらきりがない。
 30分ほどで、ホテルへ引き上げることにした。
 ところが、すぐ近くのホテルへ帰るつもりが意外に深い森のなかで道に迷ってしまった。
 行けども、行けどもホテルの前に出ない。
 人っ子一人通らない道です。
 少しあせった。
 いえ、ご心配には及びません。ドンドン下っていけば海岸に出るはずです。海岸はにぎやか。いざとなったら、お店の人に頼んでタクシーを呼んでもらうことだってできる。
 お財布は持っています。ホテルの名前も分かります。

 かれこれ30分も歩き回ってやっと、ホテルが見えてきた。
 ああ、疲れた。着替えてレストランに行くのは面倒。

 飛行機を降りるとき、ルフトハンザの日本人スチュアデスさんが「これ、スナックにお出しした『おりぎり』の余りなのですが、よろしければお待ちになりませんか」といってくれた。きっと乗客の中で一番食欲がありそうにみえたのであろう。ありがたく頂戴したウメボシと昆布のおにぎりがその日の晩餐であった。

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2005.08.15

ドイツ北東部ぶらーり旅(1)

すみません。しばらく休載させていただいていましたが、再開します。
よろしくお願い申し上げます。

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『思い出します・20年前』

 実は、1986年、当時の東ドイツをリック背負って一人旅しているのです。例の旧ソ連のチェルノブイリ事故の3日後でした。
 ただ、当時は、間違っても「ぶらーり・ぶらり」なんていう雰囲気ではありませんでした。
 個人旅行は不可能ではなかったにしても、限りなく面倒で制約の多いものでした。でも、だからこそ「東ブロック」の姿を垣間見ることができたのですが。

 個人旅行を希望するものは、まず、宿泊するすべてのホテルを予約し、予約金を払い、そのバーチャーを揃えて提出しないとビザが下りない。列車の切符も一区間ずつ、宿泊地の旅行公社みたいなところで受け取らなくてはならないーーー絶えず監視されているようなシンの疲れる旅でした。

 そんなわけで行かれたのは、アイゼナッハ、ワイマール、ドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンみたいな大都会だけでした。
 行きたかった「ハルツ地方」は、その多くが東西国境地帯にあったため、外国人の旅行は禁止されていました。

 当時の私の目からみても「この体制は長く続かないな」と分かるほどでした。何しろ、西ベルリンのテレビ、ラジオは容赦なく侵入してきて西側の情報を伝えていましたから。その後3年で実際、ベルリンの壁は崩れました。あの劇的なニュースをみて興奮したのを覚えています。

 そんなわけで、1989年、壁が崩れた後の合併後のドイツ東部をぜひ、もう一度見てみたい、そう思っての旅でした。


『行った場所は、ここと、ここ』 *印は「旧東ドイツの町」

 キール

  パルト海からちょっと入ったキール運河に沿った街。
  シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の州都。
  すぐ先は、もうデンマーク。
  戦前は軍港。あのナチスのUボートの基地だった。
  第二次世界大戦で徹底的に破壊され、現在は、ヨットの国際大会などで有名なリゾート地に変身。

 リュベック

  ハンザ同盟の中心地として栄えた街。
  トーマス・マンなどの文人の故郷としても有名。
  ユネスコの世界遺産。

 *ロストック

  ここもハンザ都市として栄えたところ。
  リューベックより明るい感じ。
  SLファンには見逃せない街。

 *クヴェトリンブルグ

  ドイツ観光地としては『掘り出し物』。
  ハルツの古都。
  戦災を免れ、中世さながらの美しい木組みの家が並ぶ。
  つい、写真を撮りすぎてしまう街。
  ユネスコの世界遺産。

 *ヴェルニゲローデ

  ここも、お城や、木組みの家並みで人気のリゾート。
  ブロッケン山へ行くSLはここから。

  ゴスラー

  中世、銀鉱で大儲けし、しかも、戦災をまぬがれた。
  1050年、皇帝はハインリッヒが居城を構え、帝国議会も開かれた街。
  昔ながらの木組み家々と、箒に乗った魔女人形が売り。
  ここも、ユネスコの世界遺産。

  ハン・ミュンデン

  フルダ川などの合流点で水郷のような感じ。やはり古い町並みが残っている。
  ここのシンボルは「藪医者・鉄ひげ博士」。

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 というわけでーーー

 ・ドイツの古い町を散策する
 ・SLに乗る

 ことを目的に「ドイツ鉄道周遊パス」を持ち、リユックサックを担いで、旅だったのでありました。

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