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2007.09.10

ぽるとがる・マイペース紀行(13)

 「ドウロ川の川風、袂に入れ」

 2つ目のゲイトを越えると、両岸にビルなどの建物がふえ、橋の数も増えてきます。
 こうなるともうポルトは間近です。

 船は、予定より30分はやく船着場に着きました。われ等がホテルのすぐ下です。

 夕方は、「ルイス一世橋」を渡って対岸にお散歩に行きました。
 結構な登り道でしたが、対岸からの眺めもなかなかのものです。
 対岸はガイヤ地区といい、ワイン工場が軒を並べていて試飲もさせてくれるそうですが、そんなにお酒に強い方ではないので遠慮しました。

 「ルイス一世橋」は、フランスのエッフェル塔の設計者のお弟子さんが建てたのだそうです。二段構造になっていますので帰路は、上段を歩きました。
 ここからも別の角度からポルトの街が見渡せます。

 帰路はダウンタウンでカテドラルを拝観して戻りました。

 さて、夕食ですが、川べりのテラスに並んでいるたくさんのレストランの一つで川風に吹かれながらの食事でした。メインはイワシのフライ(何しろ量が多いので今回は「メイヤ・ドウス」(半量)にしてもらいました。それでも食べきれないほどの分量でした)。お味ですか。今回の旅のお食事のなかでここが一番洗練されていたように感じました。
 となりのテーブルのブラジル人の3人衆からモンチャンにお酒が届きました。ポルトガルの観光客にはブラジル人は多いですね。
 モンチャンは喜んで達者な語学力を生かして、ポルトガル語で交流していました。

 そのうち「流し」がやってきてギターとアコーディオンで古いシャンソンなどを奏でてくれて、ポルトガル最後の夜を一層華やかにしてくれました。

 
 「ポルサ宮」の「すごいルーム」

 翌日は出発日なのですが、午後の飛行機を予約していたので、午前中は市内観光をしました。 
 まずは「ポルサ宮」。
 19世紀に建てられたネオクラシック形式の建物。
 現在も「商工会議所」として使われています。
 そのため、見学はすべてガイド付きで自由見学は出来ません。
 我々2人についてくれたガイドさん、なかなかの愛想よしでサービス精神がいっぱい。
 ものすごく分かりやすい英語でゆっくりと話してくれます。

 ガイドさんの説明では、豪華な室内の装飾品について「これはブラジルからもってきた」「こちらはアフリカから運ばれてきた」というものが多い。いかに植民地から財宝を搾取していたかを告白しているようなものです。
 日本人もたくさん訪れるらしく「では、つぎに『すごいルーム』をご覧に入れます」なんていいます。「すごいルーム」はアルハンブラ宮殿を模してつくられていて、天井から壁全体が色とりどりのアラベスク模様です。たしかに「すごい」です。
 そして、ガイドさんは土産物屋さんの前で「サヨナラ」をします。
 その土産物屋さんで、ワインのミニボトルの箱入りを思わず買ってしまいました。
 
 ところがご存知のように、昨今は飛行機の機内持ち込み制限が厳しくて「水ものは一切ダメ」。
 仕方なく衣類でグルグル巻きにしてスーツケースに入れて預けましたが、成田に着くまで無事でいてくれるか心配でした。
 私は、ワインの違いなど分かりません。
 しかし「違いの分かる」お友達のご主人の鑑定では、このワイン、なかなかの逸品なのだそうです。

 そのあと「サン・フランシスコ教会」などを見学してホテルに戻りました。
 

 「空港行き地下鉄」と親切な紳士

 ガイドブックによりますと、ポルト空港と市内の間には連絡バスがあり、要請すればホテルにも立ち寄って拾ってくれるとあります。
 ところがホテルで聞きますと、「空港行き地下鉄」が開通したので、空港バスは廃止になったとのこと。旅行事情は常に変化します。ガイドブックを過信してはいけません。
 そこで、あわててタクシーを呼んでもらい「空港行き地下鉄」の駅まで行きました。
 また、ここでも分からないことがいっぱい。まずは切符の買い方。たまたま発券機の点検に来ていたオバサンに教えてもらいながら買うことが出来ました。
 切符は、階段の降り口、登り口などで、いちいち機械に当ててチェックする必要があるのです。
 さらに、「空港行き出発ホーム」が分からない。「空港行きは何番線ホームから」という表示を探しましたが見当たりません。
 空港を利用するのは地元民ばかりではないはずです。もう少し分かりやすい案内があったらいいのにーーーと思いました。

 そこへ「何かお困りのことでも?」とビジネスマンらしい方が救世主のように登場。
 「自分も同じ方向に行くから」と空港行きの発着するホームにつれていってくださり、乗るべき電車まで教えてくださったのです。
 フランスのAXA保険の社員でお客さんのところへ行く途中のようでした。
 ここで、またモンチャンがポルトガル語のおしゃべりを楽しんでいました。
 この方が下車してほどなく、地下鉄は「空港駅」に着きました。

 びっくりするほど大きな立派な空港でした。観光立国を国是としているポルトガル。多数のお客を迎え入れる大切なお玄関なのですね。

 我々は、ここからリスボン経由パリへ行き、ここで1泊。翌日の夜日本に向けて旅立ったのでした。

 1930年生まれと、1935年生まれのロートルコンビ。
 お陰さまで、たくさんの思い出をお土産に、まあまあ無事で元気で旅を終えることができました。
 長い駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

(完)

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ぽるとがる・マイペース紀行 (12)

ポルトといえば「ドウロ川の川下り」(2)

 船は、ゆっくりと艫綱を解いて、静かに下っていきます。
 ドウロ川は蛇行し、両岸には長閑な風景が広がります。

 やや、あって「お食事の支度が出来ました」とのアナウンスがありました。
 まず食前酒に甘いポートワインが出ました。こちらは赤色ではなく薄茶色のお酒でした。
 つづいて前菜の「ソーゼージ盛り合わせ」「サラダ」「豚肉のソテー」「ブリュレ?」「エスプレッソ」と続きます。
 デザートとコーヒー以外は、大皿に盛ってテーブルごとにドントおきます。
 お味ですか。よかったですよ。
 それに、食事、ワインも含めて今日の費用が45ユーロということを考えますとお値段もリーズナブルといえます。
 やはり、イギリス勢の食欲が日本人を大きく上回ります。
 その上、あちらさんは別にワインも2本くらい注文しておられました。

 ホリディを楽しんでおられるとおっしゃるこのイギリスのご夫妻は、ロンドンから一時間半くらい離れたところにお住まいのよし。
 ご主人は59歳、お仕事はおっしゃらなかったのですが、奥様は、高校のドイツ語の先生とのこと、男の子さんがおられてソフトウエア・ファクトリーにお勤めとか。
 人のよさそうなご夫妻でした。

 食事が終わると、日本人を除くみなさんは、上半身を露わにしてデッキで巨体の甲羅干しを始められます。
 なんとなく、トドのお昼ねという感じでした。

 船は静かに下りますーーーといいたいのですが、ややBGMのヴォリュームが気になりました。

 途中、2つのゲイトを越えて下っていきます。
 ゲイト(またはロック「閘門」)を越えるには、空いているときでも20分はかかります。
 一度に2艘くらいの船をロック入れ後方のゲイトを締め切ります。そして下りの場合は、ロックのなかの水を徐々に抜いていき、下流と同じ水位になったら前方のゲイトを開くーーーという作業をするのです。
 乗客は、デッキに出てこの様子を眺めています。
 とくに、船員さんが水位に合わせてロープを操作する手さばきを眺めるのが面白いです。

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 でも、不意に「ざぁ」とシャワーを被ることもありますからご用心ご用心。
 
 その昔、ドウロ川に何度も大暴れをして流域の村々に被害を与えてきた。しかし、ここにダムが出来てから、大きな災害が起こらなくなったとのことでした。

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ぽるとがる・マイペース紀行 (11)

 ポルトといえば「ドウロ川の川下り」(1)

 スペインに発し大西洋まで925キロ。
 ゆったりと流れるドウロ川に面したブドウ畑が、あのポートワインの産地。
 このドウロ川を、ポルトから100キロ上流のレグアの町から4時間かけてのんびりポルトまで旅するツァーは結構人気があるようです。
 
 我々の場合、なにしろホテルの隣が、このツァーを主催するVIA社のオフイスなのです。着いた日に早速、翌日のワンデーツァーを申し込みました。
 窓口で「いいですか。明日、朝8時30分までに、鉄道の『サン・ベント駅』に集まってください。時計台の下に『VIT社』のガイドがお待ちしています」との説明を受けました。
 「へぇ、クルーズするのに、何故、駅へ?」と不思議な気がしました。
 
 ―――というわけで、この日はホテルにお願いして、少し早めに食堂を開けてただいて朝食を済ませて駅に行きました。
 確かに時計台の下に、ニコニコとしたアフリカ系の女性ガイドさんが待っていました。
 そして、書類をチェックすると、鉄道の切符をくれました。
 なお、ここのガイドさんは英語だけで対応します。
 ごく普通の切符です。一応「団体扱い」となっていましたがーーー。
 指示された列車に乗り込みますと、これが団体貸切ではなく、一般客も一緒でした。
 車掌さんの検札も一人ひとりに来ます。
 このツァーのお客は全部で16名。ヨーロッパ系の人が多いように見受けられました。
 
 列車は、市内を離れて五月の緑の丘陵地帯を登っていきます。
 実は、この路線19世紀末にポートワインの運送用として開通しているのですね。 
 そうこうしているうちに、右側の車窓からは、ドウロ川が見えてきますーーーそれを知っていれば、進行方向右側に席をとったのですが、反対側でしたので、カメラに収めることは出来ませんでした。
 なお、このグループに偶然一人旅の日本人の奥さんがおられたので車内で話が弾みました。

 乗車後、どこかへいってしまったガイドさんが、突然現れて「はーい。次の駅で降りますよ」といって回ります。
 一時間半くらい乗って、下車したレグアは「よく、こんな谷間に」とびっくりするような大きな町で、立派なホテルもありました。
 しばらくすると、船長さんらしき人が駅に迎えに着ます。そして、ガイドさんと抱き合って再会を喜ぶゼスチャーをします。多分、毎日会っているのだと思うのですが。

 駅からは徒歩で、船着場へ行きます。
 なんとも長閑な川べりの風景に見とれ、つい、ビデオカメラなど回してしまって皆さんから遅れてしまい、あわてて走って追いつく始末でした。
 そして、お昼前、やっと船上の人となりました。

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 大きな船ではありませんが、船室兼食堂には、30人分くらいの席がありました。
 テーブルは6人用で、ガイドさんが席を決めてくれます。
 我々のテーブルは、先ほどの一人旅の日本人の若奥さんと英国人のご夫妻の計5人でした。

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2007.09.08

ぽるとがる・マイペース紀行 (10)

 ポルトガルのお菓子


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 オヴォシュ・モーレシュは、ここアベイロの特産品です。
 早く言えば、卵の黄身の餡が入った最中という感じです。美味しいですよ。これは。
 
 このほか、ご存知のようにカステラはポルトガル伝来なのですが、この原型みたいなお菓子もあります。日本のカステラに較べると素朴な蒸しパンみたいなお菓子でした。

 私の愛してやまない「カスタードプリン」または「カラメル・プディング」は、ここ、ポルトガルのが一番美味しいです。私は例の「なめらか系」より堅めで、しっかり卵の味のするのが好きなのですが、ポルトガルのはそういう本格派です。要するに「卵」が美味しいのです。


 ポルトガルの最後は「ポルト」

 アヴェイロからポルトまでも列車の旅です。
 ポルト近くでの列車からの眺めはすばらしいですよ。右に左に「ドウロ川」とポルトの街並みが見えます。とくに鉄橋からの眺めは最高でした。
 長距離列車はたいてい、郊外のサンタ・アポローニア駅に着きます。ここからダウンタウンにある「サン・ベント駅」までは近郊電車みたいなものに乗り換えていきます。―――とガイドブックには書いてあります。しかし、実際、何番線から何時、発車するのかなどは、さっぱり分かりません。荷物を引きずりながら、わざわざ駅のインフォーメーションにまで聞きに行ってやっと分かった始末です。やはり「旅はクイズ」です。 やっと来た電車は5分もしないうちに我々を「サン・ベント駅」につれていってくれました。

 この「サン・ベント駅」は貫禄のある建物です。
 といいますのも、もともと修道院の跡地に立てたものなのですね。
 ホールの壁は豪華なアズレージョで飾られています。


 ポルトはーーー

 ポルトガルの北のほう、あと100キロくらい北上するとスペインとの国境で、ポルトガル第二の大都会です。

 我々の年代の人間には、ワインといえば「赤玉ポートワイン」という甘口のお酒の記憶から始まります。
 そうです。ポートワインは、ここポルトのお酒の意味です。
 11世紀、この土地を支配していたプフンス貴族が葡萄の苗を持ち込んでワイン作りを始めた。ワインは、ここの風土に育てられて、独特の「赤色」のワインとなっていった。この土地一帯のワインの加工、積出港としてポルトは栄えたのでした。


 リバー・ビューの部屋に泊まりました

 ポルトガルの旅も、ここが終点なので、奮発してドウロ川沿いの中心地にある「ペスタナ・ポルト(★★★★と四ツ星でごさるよ)」のリバー・ビューサイドに泊まりました。
 これは大正解でした。
 駅からドウロ川に沿いまでの下町地区は「ユネスコの文化遺産」になっていて、このホテルはまさにそのど真ん中にあります。
 観光スポットの中心地で、しかも、クルーズ船の発着所の真上。川に面したテラスには、レストランが並んでいます。
 窓からは対岸の「ドン・ルイス一世橋」や円筒形の「ノッサ・セニョール・ピラール修道院」などが見渡せます。夜間、これらがライトアップされて川面に映えると「すごいな」と感激します。いつまでも眺めていたい。寝るのが勿体無くなります。
 
 この結構ずくめホテルに旅装を解くと、お昼はクルーズ船のなかでいただくことにしました。
 「七つの橋の下を潜りながら、コースの昼食を召し上がっていただく」というコースです。
 ホテルに戻ると、疲れている上に、アルコールも入り、お腹もいっぱいで眠くなりました。
 こうなったら、お昼ねタイムです。

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2007.09.07

ぽるとがる・マイペース紀行 (9)

 コインブラのインターネット

 ホテルのインターネット・コーナーからメロウ倶楽部にアクセスしてみました。
 OSはポルトガル語で、日本語へのエンコードなどは一切不可。
 メロウ倶楽部の「英語版」は読めましたが、書くのは大変です。
 なにしろ、キーボードには、英字にお髭の生えたようなヘンな字はあるのですが、「ハイフン」「カンマ」などがどこにあるのかさっぱり分かりません。レセプションのオネエサンも分からないのです。 
 時間ばかりが経過してしまうので追加料金をはらってまでやるのがアホらしくなり諦めました。
 帰路、立ち寄ったパリの空港ホテルでは、OSはフランス語でしたが日本語も読めて英語のしっかり書けました。やはりそういう意味ではポルトガルは辺境です。


 列車でアヴェイロへ

 コインブラに2泊して、翌日は列車でアヴェイロへ。
 なかなか近代的でセンスのいい車体です。
 電光掲示板で「行き先・次の駅・外気温」まで表示されます。
 アナウンスもありました。
 結構混んでいました。

 いよいよ、待ちに待ったアヴェイロ駅です。
 といいますのは、ガイドブックによりますと「美しいアズレージョに飾られたアヴェイロの駅舎は必見」とあったからです。
 ところが下車して地下道を歩いてみても、駅舎はすばらしく近代化されていて、アスレージョの「かけら」もありません。
 がっかりして、駅を離れようとしますと、駅をでたところに、アズレージョに飾られた建物が見えていました。これが旧駅なのですね。
 要すれば、古い部分を残して、大きな近代的な駅舎を増築したわけなのです。
 日本では歴史的建造物の場合「取り壊し」か「古い建物で不便さを我慢するか」の二者択一を迫られることが多いのですが、こういうことができるといいですね。


 ポルトガルのベニス アヴェイロ

 ーーーというのはちょっと言いすぎですが「中央運河」「コジョ運河」を中心に、いくつかの運河が張り巡らされていて、カラフルなモリセイロ(ベネツィアのゴンドラよりハデハデしい)が、そこここに舫っています。両岸に散歩道を歩いていると川風がここちよいです。

 夜になると鉢植えの花でかざられた何本もの橋がライトアップされて雰囲気を盛り上げています。
 
 街の家々にもアズレージョ装飾が施されており「観光地」として着々と整備されつつあります。ここも「おすすめの観光スポット」の一つです。


 アズレージョにもいろいろあって

 ステンドグラスもそうですが、幾何学模様、絵画的なもの、物語性のある絵画、などなどいろいろあるようです。個人の家の壁を彩るアズレージョは淡いパステルカラーの幾何学模様のものが多いのですが、これが運河の水によく映えています。

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 小舟・モリセイロる

 もともとは、肥料用の海藻を運ぶなど実用品だったのですが、現在は観光資源です。
 華やかなデザインには、三流映画のポスター並みのものもありびっくりです。
 でも、眺めているのは楽しいですよ。

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2007.09.06

ぽるとがる・マイペース紀行 (8)

 コインブラ版・行列のできるレストラン

 またぞろ、マーチャンがヘンなレストランを探してきます。
  「セルフの店だけど、土地の人に人気があるらしいわよ」。
 紋ちゃんは「何で、旅先でわざわざセルフの店になんかに行かなくてはならんのか」とぶつぶついっていました。
 そして、また、場所探しに難儀します。
 やっと見つけた店は大きなお庭に面した素敵なレストランでした。
 しかも、店内に入りきれない人たちが外に並んで待っています。
 
 お盆をもってカウンターの前に行き、コックさんに、いろいろ注文をします。
 「シシカバブをチョウダイ」「うーん、1本でいいわ」「付け合せは、炒めたジャガイモ、そうそれ。少しでいいのよ。 それとトマトのサラダ。オリーブも少し」などなど。飲み物やデザートもお盆に載せて、お金を払います。

 そこまでは普通のレストランと同じです。
 でも、お金を払うと、ウエイターが飛んできます。「店内で食べますか。それともお庭で?」そしてお盆を運んでくれます。オマケに「食事が終わったらこのお庭を散歩するといいですよ。それから、このパンフに店の由来が書いてあります。どうぞ」などと親切に案内してくれます。お味も、地元民が行列するだけのことはありました。


 「倹約ホテル」体験記

 なぜか「ibs」というホテルチェーンの宿を予約してしまいました。
 確かに、普通のホテルの半値で泊まれます。
 また、大阪の「カニ道楽」みたいに野外看板に「ツイン1泊お二人様で52ユーロ」なんて大きく出ています。

 そんなに節約する必要もないのですが「この安さの秘密を探る」という別の楽しみができました。
 まず場所については申し分ない。大きな公園に面していて、その先は川。ダウンタウンにも数分で行けます。
 建物も、やや部屋は狭いですが、そんなに悪くない。
 ただ、設備はなにもない。
 冷蔵庫・ヘアードライヤーなどもなし。もちろん、レセプションに行けば飲み物も買えますし、ドライヤーも借りられます。
 一番印象的だったのは、洗面所のコップが何んとも薄いプラスティク製だったことです。
 軽く握ったら「バコン」と割れてしまいました。

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 市民マラソン大会

 マラソンがお家芸というお国柄。
 この日も市民マラソン大会が開かれていました。
 子どもも、お年よりも、クルマ椅子の方も、ベビーカーに赤ちゃんをのせたママも、メタボリ気味のオジサンも走ります。
 市内を一周のあとのゴールはわれ等がホテルの前の公園です。
 印象的だったのは、ゴール近くにいた応援の家族です。
 パパ・ママ・と子どもたち。
 坊やが「あっ。オジイチャンだ。オジーチャーン。完走おめでとう」とオジイチャンの額に祝福のキスをします。相好崩して坊やを抱くオジイチャン。
 平和な日曜日の公園風景でした。


 こんなお店もありました。

 洗面用具を買いにホテルの近くのスーパーに行きました。
 日曜でお客が少なかったせいか、東洋系の女の子さんが一人で留守番をしていました。
 入っていきますと、不機嫌そうに我々の顔をチラッと見て、すぐに視線をパソコンに移します。
 どうやら、パソコンゲームに没頭していたようです。
 買ったものとお金を渡すと「ニコリ」ともしないでおつりをくれました。
 旧社会主義国の国営商店のようでした。

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2007.09.05

ぽるとがる・マイペース紀行 (7)

学都 コインブラ

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 ナザレの絶景を堪能したあとは、大学の町、コインブラへ行きました。
 ナザレのバスターミナルは屋根付きの建物で、オフイスもあり、窓口には係員がいて、発車時刻の案内もしてくれます。
 バスは大型の二階建て。一階は荷物専用。お客は二階に乗ります。
 レイリアという街のバスターミナルで30分間のトイレ休憩があり、所要時間は一時間半くらいでした。
 
 ボルトガルの第一の都市は首都リスボン、ナンバー・ツーはワインで有名なポルト、そしてナンバー・スリーがコインブラなのです。

 丘の上のコインブラ大学が観光のメダマです。
 この大学、最初はリスボンにあったのを、ここコインブラに移した。その後、またリスボンに戻ったりしたのですが、1537年にここコインブラに落ち着いた由です。

 この街は、主な観光スポットがモンテゴ川を背にそそり立つ丘の上にまとまっています。
 そんなに高い丘ではありませんが、かなり急な坂を上らなくてはなりません。
 そもそも、ボルトガルのほぼすべての都市は「坂の町」です。
 「マラソンに強いのもむべなるかな」です。
 何処の町も旧市街は坂が急なだけでなく道が非常に狭く曲がりくねっていますから、ブーブーで見物するのは無理です。
 この街ではありませんが、たまたま救急車を呼んだ人がいたのですが、街中が大騒ぎ。近所の人たちが総出で道路に置かれているものを片付けてなんとか救急車の通るところを確保しなくてはならないのですから。

 「登りに弱い方への朗報」。大抵の町には、ケーブルカーなどがあります。
 ここ、コインブラにもあります。
 ただ、この国の観光地らしく「場所探し」には難儀します。
 このケーブルカーの在り処も、紋ちゃんが大奮闘して、やっと見つけてくれました。
 まずは、ビル内のエレベーターみたいなものに乗って途中まで行き、そこからケーブルカーに乗ります。はい。市営交通で、1.5ユーロです。

 大学は、いろいろな学部のある総合大学で、学部ごとに建物が分かれていますが、旧大学と呼ばれる一角に、時計塔やラテン回廊(ここではラテン語しか話してはいけなかった)などの観光スポットがあります。

 近くの新カテドラルではたまたま結婚式の最中。旅の途中で結婚式を見ると縁起がいいそうですが、われわれは初夏に旅行することが多いせいか、よく結婚式と出会います。たとえ「ご主人5度目・奥さん4度目」みたいな結婚式であっても出会えるのは嬉しいものですね。

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2007.09.04

ぽるとがる・マイペース紀行 (6)


 ナザレの絶景
 
 漁師町がリゾートタウンになって、忙しいのは女性です。
 バアチャンたちは民族衣装の短いスカートで、屋台や土産物屋やレストランで大活躍。あのファドのような、浪花節のようなダミ声を張り上げて、お客の呼び込みに必死。
 市民の台所「公設市場」は体育館のような大きさですが、ここでも売り子も運び手も女性が多かった。
 また、道端の屋台では、バーチャンたちが、駄菓子や、ドライ・フルーツのようなものを売っていました。
 男性の影が薄いように感じました。

 午後は、北の観光名所「シティオ地区」にケーブルカーで行きました。
 ケーブルカーの窓からの展望も楽しいですよ。(写真ご参照)

 われ等が宿「ホテル・ミラマール」も高台にあり、ホテルの食堂からも、すぐそばの「ミゼリコディア展望台」からも、眼下に市内が展望できますが、ここシティオ地区からは更にスケールの大きい風景を楽しむことが出来ます。

 展望台の脇に小さい建物があります。
 そもそも、ポルトガルの漁村が「ナザレ」と呼ばれるようになったについては聖母の奇跡伝説に由来しているのですが、この小さい建物こそが、その奇跡が起こったところなのです。

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 また広場に屹立する「ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会」は、この奇跡を聞きつけてやってくる巡礼者のために建設した2つの塔を持つ美しい教会です。なかは例のアズレージョがすばらしいです。

 ホテルへの帰り道は上り坂。マーチャンが道を間違えたので更に時間がかかりました。
 炎天下、ひたすら歩いた1日でした。さすが疲れましたね。

 夕食はホテルのレストランで。
 味も上品で、サービスもグッド。
 窓から見える大西洋に沈む夕陽が印象的でした。

 ところで、この国の人たちって、同じ南欧でも、イタリアやスペインの人たちとどこか違います。顔を合わせても、ニコニコしたり、手を広げたりしないのです。
 ポーカーフェイスというか無表情のまま話をします。
 別に冷たいというのではないのですが。内気というかシャイなのでしょうか。

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2007.09.03

ぽるとがる・マイペース紀行 (5)

ナザレ・近代的リゾートタウン

 さて、翌日はナザレに行くことになっていたのですが、これがまた簡単ではない。
 やっと見つけたインフォーメーションの話では、ここオビドスからナザレへの直行バスは1日1回。しかも夕刻発とのこと。迂回コースはいくつかありますが、どれも時間とバス代がかかりそうです 。
 で、いろいろシュミレーションしました。
 その結果、ここから25キロ離れたナザレまでタクシーでいくのが一番いいという結論に達しました。
 朝、迎えに来たタクシーで、ぴったり30分。タクシーは、予約してあったナザレの「ホテル・ミラマール」の玄関に横付けになりました。30ユーロ。高いようですが、迂回コースの2人のバス代と、バスターミナルからのタクシー代を差し引くと、たいした違いはありませんでした。 おまけに、丸一日ナザレで過ごす時間が確保されたのですからありがたいことです。

 ここは、絵に描いたようなリゾートホテルです。

 ただ、レセプションで少しトラブリました。

 日本からのホテルの予約はすべてWebでやったのですが、このやり方もホテルによって様々。
 大きなホテルは自分のウェブサイトトで予約を受け付けてくれます。
 そうでなくても、メールアドレスの分かるホテルはメールのやり取りで予約が出来ます。
 ややこしいのは、代理店を通すところ。
 日本の代理店経由の場合と、海外の代理店経由の場合があります。

 また、代理店によっては先に利用代金をカードから引き落としてしまうところもあります。
 たまたま、ここ「ホテル・ミラマール」は、そのクチです。こういうケースでは、代理店から来たメールに添付されている英文の「確認書」をプリントして持参しなくてはならないのです。
 マーチャンがそれを忘れてきてしまった。日本語のメールのプリントをみたオネエサンが「これが確認書ですね」というので「そうです」とあいまいに言うと「私、日本語分からないけどいいです」といってくれたので何とかなりました。

 それから、予約に際しては、小規模なB&B(家族経営の民宿)をのぞいてほぼすべて「クレジットカードの番号を教えて」といってきます。メールで教える勇気?のない私は、都度、別途、FAXで送っています。
 分かります。クレジットカードは一種の身元証明なのですね。世界中の、どこの馬の骨とも知れない人から予約が入るーーーもしかすると「大ドロボー」や「テロリスト」かも知れませんもの。

 我々の部屋はレセプションのすぐ隣の「101号室」、広くて明るいいい部屋でした。

 ナザレに関しては「鄙びた」「伝統的な」というイメージを抱いていた。
 しかし、昨今は、南ヨーロッパの典型的なバカンス地。絵葉書的な風景のあちこちには、数知れないホテル、長期滞在型アパートなどがひしめいています。

 海岸通をお散歩しているとお昼の時間です。
 ナザレの名物は「イワシの塩焼き」。この分量をみてください。
 少し塩辛いところも、日本の「干物」に似ています。
 洋の東西を問わず、イワシのように生臭いサカナは「薄味」では美味しくないのですね。

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2007.09.02

ぽるとがる・マイペース紀行 (4)

闇のなかに焼きソーセージの炎が

 いわゆる「頑健タイプ」とは縁遠い我々ですが、歩くのはあまり苦にならないほうです。
 でも、お昼に摂取したアルコールが眠気を誘います。
 中心地にホテルをとっているとこういうときは便利です。
 一度、ホテルに戻って「お昼ね」をして涼しくなってから再度、街へ繰り出すことが出来ますから。

 夕べのお散歩では、ポルタ・ダ・ビラとは反対側に歩きました。
 ここには「お城」があるのですが、これは、現在、ポウザーダになっています。

 ポウザーダとはーーー
 (スペインでは「パラドール」といいます。---これは、主として、古城、修道院、貴族の館(マナー・ハウス)等の歴史的文化財の建物を改装した小規模にして高いホテルです。街外れにあることが多い) 。
 紋ちゃんやマーチャンが宿泊するとやや場違いな感じがしそうなのでご遠慮申し上げています。

 この近くからはオビドス全体を一望することが出来ます。
 夕暮れ時でもあり崩れかかった古城の一部は「昔の光、いまいずこ」というムードでした。

 ここで、またまた、マーチャンがヘンな居酒屋に行きたがります。
 「イブン・エリック・レックス」というおかしな名前のお店です。紋ちゃんの話では、アラブ関係の方の経営ではないかと。
 暗―い店内には、ランプや古風なインテリアがぶらさがっています。

 お酒はオビドス産のジンジャ。おっかなびっくり少し飲んでみましたら、子どものときに飲ませられた「咳止めの水薬」と同じような味がしました。
 お料理は、単品メニュー。
 チーズとパンとソーセージ。
 このソーセージはテーブルに置かれた耐熱皿の上に載せて液体燃料を注いで焼きます。
 暗―い店内で、この炎だけが明るく、アラビアンナイトの魔法のランプみたいでした。
 こげこげのソーセージは香ばしくて美味しかったですよ。

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