« September 2007 | Main | August 2008 »

2008.06.13

東地中海は今日も青空 最終回

 ドブロブニク アドリア海の真珠ーーーそれ本当です

 最終寄港地は、クロアチアのドブロブニクです。
 実は、我々は4年前にクロアチア旅行をしていて、ドブロブニクにも2泊してガイドさんつきで見物しています。
 
 それで今回は、ツァーに参加するの止めて、モンチャンと2人、ぶらぶら歩いてきました。
 ―――といっても、ことは、そんなに簡単ではありません。

 本船からテンダーボードで上陸地まで行きダウンタウンまではそこから更に船で用意してくれたシャトルバスで行かなくてはなりません。
 おまけに、今回の寄航地のなかで、クロアチアだけは、EUに属していませんから、いつもは船で預かってもらっているパスポートも必要です。ただ、実際は、MSCのテンダーボートから降りてきた我々は、パスポートコントロールはフリーパスでしたが。

 お金もユーロではなく「クーナ」という現地通貨です。
 もちろん、ユーロは通じますが、お釣りが現地通貨になったりややこしいことになります。

 ドブロブニクは、15-16世紀には、ベネツィアと並ぶ貿易都市国家として栄えました。
 この場所で都市国家として生きながらえたということから考えても、防衛に力を入れていただけでなく、凄い外交手腕を持った国だったということが察せられます。

 最初の寄港地として訪れたイタリアのバリとは、アドリア海を挟んだ対岸ですが、紺碧の海と空の美しさは共通としても、風景はまったく違います。あちらは単調な海岸線が続いているだけなのに、こちらは入り組んだ海岸線と、緑の島々。アドリア海につきでた街は、赤い屋根と白壁の家々、そして石畳の道で統一されている。これじゃ勝負になりません。
 しかしご存知の通りクロアチアは内戦でかなり破壊されました。しかし、がんばって街も見事復興させました。ヨーロッパを中心とした各国から、たくさんの観光客を集めています。
 
 シャトルバスを降りたところが旧市街の城壁の外側です。
 城壁内の中央通りは端から端まで10分程度の距離です。
 郵便局に寄ったり、美味しいアイスクリームを立ち食いしたりと短い「自由行動」を楽しみました。

 その後は、城壁ウオークをしました。
 城壁には、いくつも砲台がありこの都市国家の防衛力が感じ取れます。

 でも、そんな理屈を考えず、ひたすら無心に「この眺め」を楽しみたくなるーーーそんな街です。

 と云っても、のんびりしているわけには行きません。
 シャトルバスとテンダーボートを乗り継ぎ、13時30分までに本船に戻らないと置いていきぼりにされます。
 我々も急ぎました。

 ここ、ドブロブニクで、寄航も終わりです。
 午後からは「下船手続き説明会」、そして次の日の朝には、下船しなくてはなりません。
 あっという間に、8日間は終わりました。

 これで、拙い航海日誌の公開を終わります。もっとちゃんと書けばよかったと後悔しています。
 お読みいただき、ありがとうございました。

 写真は城壁からの眺めです。

 2471

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その17

 コルフ(ケルキラ)島  西欧に戻ってきた気分

 ギリシャ最後の寄港地は「コルフ島」です。
 バルカン半島のアルバニアに、ほとんどくっついています。
 
 そんなに乾燥していない、緑の美しい島です。建物などを見ているとギリシャの島というよりも西欧の島という感じがします。
 無理もありません。場所がいいものですから、1400年ごろから、ベネツィアに支配されており、1815年からは英国の保護領となり、1864年にギリシャの一部になったものの、第一次大戦中にはフランスが一時期、軍事占領したーーーなど、欧州列強に代わる代わる支配されていた島なのですね。

 我々は「アヒリオン宮殿」へ行くツァーに参加しました。この舌を噛みそうな名前は「アキレウス(アキレス)さん」に因んでつけられたとか。

 「アヒリオン宮殿」はオーストリア皇后エリーザベトの別荘です。

 エリザベート皇后。この方、宝塚でも時々とりあげられていますが。愛称、シシィ。 オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝(兼国王)フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。とんでもない人に見初められちゃったのです。我がままで自由奔放に暮らしていたシシィ。よくある話ですが、万事窮屈な宮廷の生活に耐えられず、ストレスが溜まるばかりでいつも体調不良を訴えていた。旅行と買物が大好き(そりゃ、女性はみんなそうですが)。
 「何時までも美しくありたい(そりゃ、女性はみんなそうですが)」という気持ちの強い方で、60過ぎまで、実際お美しかった。 ダイエットやシェープアップに夢中になった(今では多くの女性の常識だそうですが)。ま、お生まれになったのが100年以上早すぎたのでしょう。さぞ、はたからいろいろ言われたことでしょう。
 息子ルドルフ皇太子には自殺されるし、ご本人も殺されるしーーー幸せな生涯とは言いがたい一生を送られた方です。

 それは、ともかく、このエリザベートさんの建てた別荘は半端なものじゃござんせん。

 海を見下ろす緑豊かな立地条件といい、フィレンツェ風のルネッサンス様式の建物といい、豪華な内装といい、結構なお庭といい、申し分ないです。
 私も、お庭から海を眺めながら、こんな別荘を持っていて、しかもお美しく、そして「不幸な」な方の「女の一生」を考えました。

 ま、いずれにせよ、復調して、元気に参加したモンチャンと、大いにこのお屋敷の見物を楽しみました。
 そして、思わずカメラのメモリーを減らしました。

 帰路、旧市街の英国風の公園、新要塞などを歩き、土産物屋通りを冷やかして歩きました。

 コルフ島、実はあまり期待していなかったのですが結構よかったですよ。

 写真は、お庭からの眺めを楽しむモンチャン

2458

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その16

 アテネ と アクロポリス

 目が覚めると、船はすでにピレウス港に着岸していました。
 今日は、旅のハイライト「アテネ と アクロポリス」見学の日です。

 ところが、モンチャンは疲れたから、一日キャビンで寝ているーーーとのたまうのです。
 ミコノス島の磁石は、財布の中身だけでなく、喜寿をすぎたモンチャンのスタミナをも吸い取ったのかもしれません。それとも、マーチャンをナンパしようと群がってくるオトコどもを払いのけるのにくたびれ果てたのでしょうか。

 残念ですが、マーチャン一人参加することにしました。

 午前7時30分に集合したツァーバスがピレウス港を出てアテネに向かうともう交通渋滞に飲み込まれました。首都なんてどこも同じです。
 でも、流石地元を知り尽くしたガイドさんです。
 「見物の順番を変えて、先に博物館へ行きます」と。

 ところで、国立考古学博物館の一階には、この博物館のお宝のナンバーワン、シュリーマンがミケーネ遺跡で発掘した「黄金のマスク」と「黄金の王冠」などがあります。

 シュリーマンさーん、お久しぶりです。子どものとき、あなたの伝記を読みましたよ。
 当時、あそこに出ていた「財宝」に実際に自分がお目にかかれるなんて思ってもいませんでしたよ。

 そして、まだまだ出土品の展示がたくさんあります。

 途中で、ガイドさんとご一行様に別れて自分ひとりで館内地図を頼りに見て歩きました。

 印象に残っているのは、活き活きとした西暦前5世紀の青銅像「馬上の少年像」、迫力ある「ミロス島のポセイドン」、作品のなかに想像力を刺激する物語がある「アフロディーテと牧神パンとエロスの像」などです。

 もっともっと、あるのですが「6時間半でアテネのすべてを見せます」ツァーでは、このくらいが限界です。

 バスは博物館を後にして「アテネの街を見下ろすアクロポリスの丘」に向かいます。
 さすが象徴だけあって、街の何処からでも見えます。しかしどの絵葉書にもあるこの風景、実は、修復がはじまったのは19世紀になってからなのですね。
 もちろん、修復は今もやっています。何処の世界遺産も「補修」「修復」に必死なのですね。

 バスを降りて、まず向かうのは「アクロポリスの神殿」です。
 いやあ、やはり、そばで見ると迫力が違いますね。
 その昔、あの「人間的な神々」がここでどんな風に暮らしていたのかーーーなんて想像してしまいます。

 もう一つは、柱が6人の女神の像ができている「エレクティオン神殿」です。
 優雅です。彼女たちは、こうして高台から、アテネの街を見下ろし、世界中から束になって押し寄せる観光客に対峙しているのです。(彼女たちはコピーのようですが、この際、そんなのどうでもいいです)

 今日は、モンチャンが一緒じゃないーーーということは、同じバスに乗り合わせた日本のご夫婦、他の英語圏のお客さんも気づいていて「どうしたのですか」と聞いてくれたり、カメラのシャッターを押してくれたり、いろいろ気を使ってくれました。

 帰路、第一回近代オリンピックが開催された「アテネ競技場」などを見学しつつ、2時すぎ、モンチャンの待つ、本船に戻ることが出来ました。
 モンチャンもほぼ回復していて、夕食にはそろってレストランへ行きました。

 「ウッハァ。疲れたよーん」


 写真の背景は、エレクティオン神殿です。

2448


| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その15

 
 ミコノス島  エーゲ海のナイトスポット

 古代の遺跡などはありませんが、島の収入源は観光収入です。
 買い、遊び、飲み、食べるための島とのこと。
 ただし、年頃の女性は「ナンパ」されないよう気をつけるようにとーーー。

 ここには、夜7時着岸。ツァーはなし。ミコノスの夜を個人的に楽しんでくださいとのことでした。

 我々は、まず、海岸のレストランで「イカのフライ」をサカナに土地のワインをいただきました。
 モンチャンは、勉強してきたギリシャ語でレストランとおじさんと交流しています。
 ああ、なんで、ギリシャ後みたいな難しいものと取り組んだりするのだろうーーー。

 私は涼しい夜風に吹かれて、波の音を聞いていました。

 食事の後、オールドタウンを歩きました。
 入り組んだ小道のそこここに、お店があります。なかでも多いのが宝石やアクセサリーの店です。
 何か、店の中に強力な磁石が付いているらしく、我々は知らず知らずのうちに、そのなかの一軒に吸い寄せられるように入っていました。なんと、そこには「福島弁」をしゃべる日本人の奥さんがいたのです。

 モンチャンは、柄にもなく、ここで「よく出来た息子たちのヨメ」にそれぞれペンダントを買い求めます。
 それなりのお値段でしたが、私のようなシロウトの目からみても「いいもの」でした。

 私自身も、そこそこのペンダントを買いました。きっとその磁石がバッグからクレジットカードを引っ張り出したのでしょう。

 でも、よかったと思っています。
 家でバタバタしているときは滅多に装飾品店などに立ち寄りません。旅にはこういう魔力があるのですね。

 写真はレストランの持ち船。蛸を干しています。

2426

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その14

 サントリーニ島 絵葉書よりも絵葉書的な島

 いよいよエーゲ海です。
 しかも、エーゲ海でもっともポピュラーなサントリーニ島。
 缶コーヒーなどのコマーシャルのロケ地にもなった、あの島へ行く日です。
 ミーハー族のマーチャンは心浮き浮き、ワクワクです。

 サントリーニ島も本船が接岸できないのでテンダーボートがお迎えに来ます。
 
 活火山の島です。1450年の大噴火で島の中央部が陥没したのでクロワッサンみたいな形をしています。
 ツァーについていかなくても、ケーブルカーで崖を登ってそこから景観を楽しむことも出来ます。
 ただ、このケーブルカーは信じられないほど混みます。一時間くらい並ぶ覚悟でいってください。

 しかし、ツァーに乗っかれば「イア」の町やその他、はずらしい景観の楽しめるところへ連れて行ってくれますよ。
 また、この島には、いくつもある島のワイナリーのために町が経営しているテイスティング・センターがあります。 ここでは何種類かのお酒が試飲できます。「おつまみ」も充実しています。

  「私はお酒はダメなの」という方も、ぜひ、お立ち寄りください。
 ここからの景観は、それはそれは、もう 最高です。

 なお、サントリーニ島は大きな島で、人口は7000人ですが無医村とのこと。ギリシャ版、Dr.コトーが現れるまでは、バスが崖っプチから転落したときなんかは運命と思って諦めてください。 

 2407

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その13

 オリンピア遺跡 と 博物館

 いよいよ、ギリシャに着きました。カタコロンです。
 ここから1時間くらいのところに「オリンピア」の町があります。
 古代オリンピック競技がはじめて開催された町です。
 この古代遺跡は、かなり大きな緑豊かな公園となっています。
 木陰は涼しいです。
 しかし、遺跡は、あちこちに散在しており、舗装されていない道を炎天下に「歩き」で見て回るにはかなりの体力が必要です。

 オリンピック競技の歴史は面白いですよ。もちろん、ガイドさんの話ですべて分かったわけではありません。日本に帰ってからウェブサイトなどで復習したものです。

 記録に残るオリッピッ競技会は、紀元前776年とのことですが、もともとは聖地オリンピアのゼウスの神に捧げるものだったのですね。
 昔のお相撲などと同じですね。こちらも女人禁制でした。(ここでは観客席も)
 やはり4年に一度の開催でした。

 紀元前5-4世紀ごろが最盛期。その後、だんだん衰退していきます。
 その理由の一つとして「職業競技者の横行」などがあげられています。
 出身ポリスが優勝者に支払う報奨金は跳ね上がり、余生を年金で「優雅に」過ごす勝者なども現れたーーーとのことです。ステーツ・アマの古代版です。
 近代オリンピックも同じ道を進んでいますね。
 さすが、当時は、ドーピング検査は無かったようですが。

 メインスタジアムの形も現在のものとあまり変わっていませんでした。(もちろん、ヘンな屋根なんか付いていませんが)。

 それから、オリンピア博物館ですが入ってすぐ入り口のところに、オリンピア遺跡の復元模型が展示されています。あと、ゼウスの神殿を飾っていたもろもろの彫刻が展示されています。
 なぜか、ギリシャの彫刻というのは人間的で分かりやすいです。

 写真は「オリンピア博物館」の前でとりました

2398

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その12

アルベロベッロ(船からのツァー)

 今まで主として「船内の楽しみ」を中心に書きましたが、折角、ギリシャくんだりまで行って、見物もしないで船内に閉じこもっていたわけではありません。

 我々は、貪欲にも、ほぼ毎日、船の主催する「ツァー」に参加しました。
 もちろん、有料です。

 出航翌日、11時にイタリアのアドリア海岸、BARIに着きました。
 ここからのツァーは3種類あります。我々はそのうちの「アルベロベッロ」に行くことにしていました。ユネスコの世界遺産に指定されています。

 英語組の残りとスペイン語組の混成部隊を積んだバスは、アドリア海岸を南下します。
 紺青のアドリア海は素晴らしいのですが、あたり一面、乾燥した荒地です。わずかにオリーブの樹だけが生えています。

 船内新聞の天気予報(イタリアの気象台の発表?)によりますと、前日も雨。当日も終日雨となっています。しかし、現実は連日抜けるような青空です。「紺碧の空と白い家々」---いくら安物のカメラでも失敗することはありません。

 ガイドのオネエサンさんは、絶えず英語とスペイン語でしゃべり続けています。
 そしてBARIの埠頭から1時間あまりで、アルベロベッロに着きました。

 ここには、円錐形のとんがり屋根の不思議な家々が立ち並びます。石灰岩を積み重ねただけで作られています。
 イタリアというより、スペインみたいな感じです。
 イタリアの中の異国です。
 難しいことは分かりませんが白い家は夏涼しいのでしょうね。

 バスターミナルから「白い家々の村」までは徒歩で15分くらいかかります。
 そこは修学旅行の子供たちも含め、観光客でいっぱいでした。華やかな土産物屋もたくさんありました。

 
 じつは、私は30年くらい前にここを訪れているのです。

 当時とのあまりの変わりようにびっくりしました。
 あのころは、道路もこんなに整備されておらず、こんな華やかな土産物屋もあまりなく、むしろ住民は我々観光客を「じろり」と胡散臭そうな目で眺めていただけだったのにーーー。

 写真は、アルベロベッロの町並みです

2394

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その11

2388_2

 避難訓練

 100年近く前の、あのタイタニック号の遭難を契機として「船の安全」に対する関心が深まりました。
 現在では、どこの国の船に乗っても長期間の船旅では「避難訓練」が乗船24時間以内に行なわれるようです。
 この避難訓練は、スイートルームにいても船底にいても等しく全乗客に義務づけられています。
 飛行機のように単にデモンストレーションを見るだけではなく、実際に全員救命胴衣を着て、あらかじめ決められた集合場所に集まって「救命胴衣の着方」などの点検をうけます。

 ただ現在では、これも一つの「イベント」として楽しみ、楽しませているようです。
 また、船の写真屋さんも「おひとつ、記念撮影はいかが」なんて寄ってきます。

<

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その10

 ガラ・ディナー

 実は、ドレスコードの決められている日は、もう一度あります。
 一つは前回お話した、出航日翌日の夜の船長主催のパーディー。もう一日は帰港日の前々夜です。
 なぜ、こういうことになっているかというと、世界一周の船旅などでトランク20個など大荷物で乗船している方々は、初めての夜と、帰港前夜は、荷解き、荷造り(もちろん、召使がするのでしょうが)で落ち着かないので、その日は避けたーーーと聞いています。そして、そういう習慣がいまに受け継がれているのですね。
 小型スーツケース一つで乗船しているマーチャンには無縁の話ですがーーー。

 さて、着るものですが、ふと、ギリシャの土産物屋で目にしたティーシャツにしました。
 10ユーロ(1600円)のティーシャツは、小柄なマーチャンには完全にワンピースサイズ。半袖も七部袖になります。金ぴかの柄も、ハデハデしくっていいです。ただ、ネックレスだけは「ほんまもん」でっせ。
 このコスチュームは結構人目を惹きました。万事如才ないウエイターからも褒めてもらいました。

 ガラディナーにはサプライズがつき物ですが、この船の演出はあまり上手くない。
 この辺は、前回乗船したコスタ・クルーズのほうがずっと上手くやっていました。
 
 たいてい、メインディッシュが終わり、デザートにかかるーーーというときに始まるものなのですが、ここで「パッ」と照明を消して音楽を鳴らさなくてはいけないのです。この船の場合、このタイミングがよくなかった。給仕長みたいな人が事前に出てきて、ウエイターたちに「早く準備しろ」みたいなことをいっていたのはちょっといただけません。

 でも、演技は上手かったですよ。
 照明を消したレストラン内を、ウエイターたちが、大きな「お皿」を掲げて練り歩くわけですが、お皿の上にはデザートの「アイスクリーム」がのっています。そしてアイスクリームを包んだ「メレンゲ」を燃やすのです。暗いなかで、この演出は、まあなかなかのものでした。
 続いて、調理場のコックさんたちもマーチに加わります。

 なお、このアイスクリームは、あとて切り分けられて、各自のテーブルに配られました。

2381

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その9

 船長主催のカクテルパーティー

  「クイーンエリザベス2世号」や戦前の日本郵船「箱根丸」などでは船長は晩餐で一等船客とテーブルをともにするのが仕事の一つだったと聞いています。

 すっかり大衆化したクルーズ船でも、そのマネゴトをします。
 といっても2200名のお客と食卓を共にするのは到底無理。そこでカクテルパーティーにご招待するーーーというカタチをとっています。

 ドレスコードは「フォーマル」。―――ということは、タキシード・イヴニングが標準。それが出来なくてもスーツにネクタイは必須。

 一昨年、コスタの船に乗ったときには、タキシード姿のお客さんも結構いました。
 ところがです。今回はタキシードはゼロ。酷いお客はティーシャツで現れました。
 船の人の話では、一般にイギリス人はフォーマルが好き。しかし、アメリカさんはこれがお嫌いらしい。

 その前に指定のラウンジで船長と記念撮影をすることも出来ます。(とった写真は後ほど高くで売りつけられます)。

 船長はイタリア人。陽気としうかシーチョーというか白いディナージャケットなんか着て、行列を作って待っていたお客を愛想よく出迎えます。
 秘書のオネエサンが事前に「お次の方はフランス人です」などと聞いておいた情報を耳打ちします。すると「ボンソワール」などと云って握手をします。

 我々は見るからに日本人。英語で挨拶していました。

 握手と記念撮影が一段落すると、今度は、乾杯の音頭をとります。

 ここでカクテルとカナッペが配られます。
 私は、そういうことにはまったく不調法なので良く分かりませんが、マティニーかマンハッタンみたいなものをいただきました。
 船長は、船の重役(機関長、コック長、チーフパーサー、船医など)を紹介し、彼らにグラスを渡すと、イタリア語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語でそれぞそれ短いスピーチをし、乾杯の音頭をとります。
 楽隊が椿姫の乾杯の歌を奏でます。

 食事の席にあわせて、2つの会場に分け、早番と遅番に分けて合計4回、この「お仕事」をやらなくてはならない、船長さんも大変ですね。

2371

| | Comments (0)

2008.06.12

東地中海は今日も青空 その8

 イベントに明け、イベントに暮れ

 クルーズにはイベントがつきもの。
 世界中の老若男女を等しく満足させ、かつお金のかからないイベントを提供するのはさぞかし大変でしょう。
 
 まずは、デッキイベント。
 これは、ストレッチ体操 簡単なダンスのようなカラダを動かすもの。
 お絵かき・額縁作りのような「図画工作系」。
 カクテル教室、お料理教室なよう「家庭科系」など。

 ラウンジでは「語学教室」「ブリッジなどカード遊び」「ビンゴ」「クイズ」などなどのイベントもあります。

 デッキスポーツもいくつかあります。ミニゴルフ、テーブルサッカー、卓球、ラケットボールなど。それぞれ道具を借りて楽しむことが出来ます。

 このほか、びっくりするほど立派なシアターがあり「ショー」から「ピアノリサイタル」まで毎晩興行があります。

 私の参加したのは「簡単ストレッチ体操」「軽いエアロビクス」みたいなものが多かったのです。
 
 センセイは中南米・アフリカ系の男性。
 テレビ体操のようなものですが、なにやら「ヨガ的なムード」「太極拳風の動き」「お相撲の四股らしきもの」などなどが音楽に乗って繰り広げられます。
 いずれにせよ、ハアハア息が切れるようなものではありませんでした。
 まあ、デッキで潮風に吹かれてからだを動かすのは気持ちがいいですね。
  
 それにしても、参加者のなかに「超メタボ」の方が多いのにびっくりさせられます。
 それに較べれば日本人のメタボなんてチャンチャラおかしいです。

 「ティーシャツにお絵かき」は、白いティーシャツ(L,M,Sあり)、絵の具、筆などは総て支給してくれました。
 デッキは風が強いので、絵の具が飛び散ったりして大変でした。

 プール。ジャグジーバスもあったのですが、皆さんの見ている中に「いとも貧弱な水着姿」をさらすには気が引けるので「日が暮れてからにしよう」と思っていました。しかし、夜は流石に冷えるので「ぬるめ」のジャグジーは寒すぎ、結局諦めました。

 とにかく、船での毎日は忙しすぎます。

 (写真はデッキでの体操のお時間)

2367_2

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その7

 お食事

2366

 クルーズ船の料金体系は「お食事込み」となっています。(お酒類は、船からのおごりでない限り有料。なお一般的にはソフトドリンクはすべて無料ですが、このMSC社だけは、レストランのメニューにないものや、バーで飲むソフトドリンク、飲料水などは有料でした。その点少々セコイ)

 また、船では朝の6時から午前2時ころまで、船内にいくつかあるレストランで、つねに何か食べられるようになっています。

 それ以外に「お寿司屋さん」「ピッツェリア」「高級イタリア料理」などの有料のレストランが船内にいくつかあります。

 なお「お寿司屋さん」は、プラスティックの手袋をしてお寿司を握るので興ざめとの意見も出ているそうです。

 これは、EUの規制によるものです。それと、クルーズ船では食品衛生にはものすごく気を使っているのです。一日航行中の場合、外で食事をするわけにはいかないので、毎日3-4000名が同じ食事をします。集団中毒なんか起こしたら目も当てられません。先年、カリブ海クルーズでノロウィルスかロタウィルスによる集団中毒が発生し、乗客・クルー630名が一度に感染したためツァーを中断し、そのままニューヨークへ引き返したーーーという事件がありました。こうなれば悲劇です。
 

 まあ、我々常識的な人間は、朝・昼・晩の3食をいただいていました。

 朝食と昼食は、レストラン形式のところと、ビュッフェ形式のところがあります。そのほか朝食はルームサービスもありますが、こちらはコンチネンタル・ブレックファーストだけです。
 我々は、主としてビュッフェ形式のところを利用していました。
 目で見て選べるというのは一番分かりやすいですから。

 朝食は、日本のホテルのビュッフェ形式とあまり変わりありません。

 お昼は、四角く切ったピザ、リゾット、パエリア風のご飯―――など私たちになじみのお料理が並んでいました。
 
 夕食は、正式のフルコースです。
 メニューは豊富で、コース料理のほかに「ダイエット向き」「ベジタリアン料理」などもありましたが、これらもずっしりと重い料理ばかりです。
 しかし、胃袋の小さい日本人が、メイン料理を抜かそうと、サラダを2種類たべようとお構いなしです。とにかく、メニューに載っているものは何でも持ってきてくれます。

 まあ、私は前菜・スープ・サラダから一品、パスタかメイン(肉・魚など)から一品、そしてデザート程度をいただいていました。

 お味ですか。美味しかったですよ。
 基本的にはイタリア料理ですが、あまり香料などはきつくない、やや日本的なイタリア料理です。
 というより世界的標準のーーーといったほうが良いかもしれません。

 特筆すべきはパンの美味しさです。棒のようなグリッシーニ、全粒粉の食パン、プチパンなど、どれも船内で焼いたものです。これと美味しいワインがあれば私は、何も言うことないです。

 (写真は私のお昼です。鶏の足の焼いたもの、ふんだんな野菜料理、パエリア風リゾット、デザートのゼリー、コーヒーです)

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その6

 エクスカージョン(船主催の観光ツァー)

 観光(エクスカージョン)は有料。事前申込制です。
 船主催のツァーに参加せず個人的見物に出かけることも可能です。
 でも、個人行動の好きな我々も、個人的な見物は2回程度。あとはツァーに参加しました。

 というのも、大型船の停泊する桟橋はダウンタウンから離れていて、バスなどの交通機関がないところも多いのです。また、桟橋に接岸できず、沖に停泊し、テンダーボートに乗らないと岸にいけないところも多いのです。したがって観光地までの往復に思わぬ時間がかかります。

 エクスカージョンの行き先は何種類かあり、好きなものを選べます。
 さらに、同じ行き先のなかがガイドの使用言語で分かれます。
 いわく「英語2組」「フランス語組」など。
 そして、参加者はバスの番号の入ったワッペンを胸に貼り付けてもらいます。

 集合時刻は朝7時30分集合というのが多いのです。
 なぜ、そんなにバカっ早く行くのかって?
 通勤時刻の道路渋滞は世界共通です。
 観光地のバスターミナルも時間とともに混んで来ます。
 博物館、美術館では混雑してくると入場制限も行われます。
 「先んずれば、すなわち人を制す」は西欧も同じこと。

 その土地のベテランのガイドさんが付きますので、その点は安心できます。

 私たちは英語組に入ったのですが、ガイドさんの英語も「イタリア訛り」「ギリシャ訛り」などがあります。

 私の英語力では聞き取れないことが多いのですが、特に困りません。
 だって、その寺院が15世紀のものでも、16世紀のものでもそんなに問題にはならないと思っているからです。  何しろ老人力がついているから片っ端から忘れます。また、知りたかったら後日ガイドブックやウェブサイトで調べれば済むことです。
 ただ「ここで何時何分まで自由時間。バスは反対側の出口近くで待っています」などという情報だけしっかり聴き取れればよろしい。それも覚束なかったら、同じバスの皆さんから離れないようにしていればいいのです。

 エクスカージョンは大抵4-5時間で終わります。
 コーヒーくらいは飲む時間がありますが、なんともせわしないものですね。

 でも、個人行動のときも本船の出航時刻が気になってやはりのんびりはできませんよ。
 そういう意味では、リッュクサックを背負った自由な個人旅行に勝るものはありません。

 (写真は、ツァーガイドさん)

2364

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その5

 海に浮かぶバベルの塔

 そうそう、この MSC社の「ムジカ号」をご紹介しましょう。

 ・大きさ

  総トン数: 89,600トン
  全長: 293.8m
  全幅: 32.2m

  といいますから、前回乗った「コスタ社の フォーチュナ号」より10-15%程度小ぶりですが、まあまあ巨大船といえます。

 ・鮮度

  初就航: 2006年6月

   まあまあ、新造船です

 ・スピード

   巡航速力: 23ノット

   クルーズ船は、乗客にゆっくりと景色をご覧に入れるのが目的なので高速である必要はないのです。

 ・心地よさ

  スタビライザー: 2つあり

   ほとんど揺れることはありません。モンチャンは「エンジンの音がうるさかった」といっていましたが、マーチャンは毎晩疲れ果てて眠っていたせいか気がつきませんでした。

 ・出身

  運行船会社  イタリアの MSC

  船籍 パナマ

  (いわゆる便宜置籍船国の一つです。便宜置籍船国とは、置籍すると税金などで優遇してくれる国のことで、リベリア、パナマ、バハマ、マルタ、キプロスなどが代表的です)
  (船会社の世界では常識で、井の頭公園のお椀ボートに至るまで大抵 船籍はこの辺に決まっているそうです《お椀ボートについては未確認情報です》)

 ・クルー

  乗組員数: 987名   42カ国からきています

  この船の特色は、まさに、これです。

  なお、ウエイターには、インドネシアのバリ島の人が多かった。多分、例の大津波の後、ホテルがまだ完全に復旧しておらず、出稼ぎにきているのでしょう。明るくてテキパキとよく働いていました。

 ・キャパシティー

  乗客数: (2名1室の場合)2,550名

  今回も満室でしたが、シングルユースした人がいたためか 実際の乗客数は 2199名でした。

  乗客は全部で38カ国からきています。

  ―――というわけで、60-80カ国から来た人が、この船の上で暮らしていたことになります。(クルーの出身国と乗客の出身国は、あまり重複しないと思います)


 言葉の問題

 イタリアの会社の船ですから、船長以下高級船員は、大抵、イタリア語はもちもん、英・仏・独・スペイン語くらいは話せるでしょう。その他のクルーは、接客担当者は、なんとか英語が通じる程度でしょう。

 乗客も同様でしょう。

 それでも、毎日のスケジュールは滞りなく進んでいきます。

 語学恐怖症の日本人には信じられないことですが、そうなのです。

 もっとも、それには、いろいろな工夫がなされています。

 先にお話した「迷子札」のその一つです。そのほか

 ・客室乗務員のなかに日本語など、船の定款で保証していない言語の分かる人がいる(中国語・韓国語などの分かる人もいるようでした)。日本人スタッフの「セツコサン」については後ほどお話します。

 ・我々のテーブルのメニューには、毎晩「セツコサン」により日本語が付記してあります。
  そして「オードーブル」から「デザート」まですべてのお料理に「通し番号」がついています。
  なので、料理の名前を言わなくても
  「ナンバー・シックス」、「ナンバー・イレブン」アンド「ナンバー・セブンティーン」プリーズーーーみたいに言えばいいのです。

 ・デッキイベントなども「ティーシャッお絵かき」「カクテル教室」「ストレッチ体操」「ダンス」など、言葉が分からなくてもセンセイのするとおりにしていればなんとか楽しめるものが多かったようでした。

 (写真は、マダガスカル出身のルームメイドさんとのツーショットです)

2357

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その4

2348_2


 新造船のハイテク乗客管理システム

  そこから先は、スイスイと進みました。

  タクシーが着きドアが開くと、船の制服を着たオネエサンが予め送られてきていたネーム・タグのついている荷物をひったくるように受け取ってくれます。
  《告白》マーチャンは、このオネエサンをタクシーのウンチャンと間違えてタクシー代を払おうとしました。

  前回、コスタの船に乗ったときは、乗船の手続きで2時間くらい待たされてうんざりしました。
  ところが、このMSC社の場合は、飛行機のチェックイン以上に手早いのです。

  まず、窓口がたくさんあり、すぐ順番が来ました。

  窓口で、クーポンチケット、パスポート、クレジットカードを渡すとウェブカメラのついたパソコンで「ハーイ、こちらを向いてね。ああ、『ハイ、チーズ』っていわなくていいのよ。オメメぱっちり開いていてね」などとと言いつつ、顔写真と「目の光彩」の写真を撮影します。
  そして、添付のようなカードをくれて「ハブ・ア・ナイス・ステイ」とかいってくれて手続きは終了。
  その後は、ウエルカム・ドリンクのジュースで喉を湿して、直ちに乗船します。
  船内には、担当の「キャビン・メイドさん」がお迎えに出ていて直ちにお部屋にご案内。
  ちなみに、この方は、マダガスカルのご出身。マーチャンは、マダガスカルの方との出会いははじめてです。

  ところで、この添付写真のカードですが、これはちょっとすごいです。

  ・まずは、乗船・下船確認カードとして
   非接触でスキャンでき、同時にモニターに「顔写真」が写りますから(疑義のあるときは、目の光彩のチェックも可能)他の方のものとすりかえるわけには行きません。 
   ―――親愛なる、内田康夫センセイへ。もう、ミステリー小説へ、あのトリックは使えませんよ。―――

  ・ルームキーとして
   もちろん、室内の電灯類は、これを差し込まないと使えません。

  ・クレジットカードとして
   一般に、船の中では現金は流通しません。食事中のお酒代も、クリーニング代も、ティーシャツお買い上げ代金も、クルーへのチップも、すべてこのカードで支払い、後でまとめてクレジットカード会社から請求がくる仕組みになっています。

  ・迷子札として
   ご覧のように、客室番号、緊急避難場所、指定されている食堂と夕食の「早番・遅番」の区分、テーブル番号が記載されています。
   もし、自分がこの巨大船のなかで迷子になっても、クルーに、このカードを見せれば、目的の場所につれていってくれます。外国語なんか出来なくてもオーケーです。

 (写真は船のハイテク・カードです)

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その3

2344
 お船は何処に居るのでしょう。

 出発前の慌しさもあり、クルーズ船の停泊しているところも事前に十分に調べていない。万事大まかなマーチャンはーーー大きな船らしいから、捜さなくても見えるだろうーーーなんて簡単に考えてしまうのである。

 某氏にお伺いを立てると「折角、空港からベネツィア本島に行くのなら、なんといっても水上バスですよ。手間はかかりますが、途中、ムラノ島なんかをゆっくり海から眺めながら行くのも悪くないですよ」とのたまう。

 また、ガイドブックやウェブサイトのアドバイスもテキトーである。  

 ・「クルーズの出発地、ベネツィアには空港がありますから、ご便利です」
   ―――はい、まったくその通りです。

 ・「水上バスの発着所は空港内にあります」
   ーーーこれも、その通りです。 でも

  空港のターミナルビルから、船着き場までは、歩いて7分。道路沿いに「後4分」「後3分」などと標識が出ます。でも、この7分というのはコンパスの長い「あちらさん」向けのもの。 日本人としても、決してコンパスの長くないマーチャンとしては、その倍はかかります。スーツケースを転がしながら悠々と歩いていく「あちらさん」に追い抜かれながら、必死でチョコチョコに歩かなくてはなりません。

 ・「ローマ広場」ならば「リアルト橋」で降りれば、すぐだよ」ーーー水上バスの切符売り場のオニイサンはそういいます。

  ―――地図で見るとその通りです。
  しかし、方向音痴のエトランゼにとって、この曲がりくねったベネチィアの道路は「脳みそのなかの磁石」を狂わせてしまう。でもまあ、なんとか建物の壁の標識を見ながら「ローマ広場」にたどり着けました。

 ・そして見つけた「i」の標識。
  ―――助かったぁ。ここにはインフォーメーションセンターがある。

  しかし、その看板の下にあるのは「バスの切符売り場」のみ。
  そこから「→」(矢印)に従って歩くこと6分、やっと広場から少し奥まったところに、宝くじ売り場のような六角形の小さな建物を発見。
  これこそ、インフォーメーションセンターであった。
  ここで聞いてみると「この奥へまっすぐ行って、右に折れて、左に曲がって」などど教えてくれた。
  その通りに行ったのですが、炎天下、スーツケースを引きずって歩くには余りにも遠すぎた。
  というわけで、もう一度、ローマ広場に戻りタクシーに乗って向かった。あっという間に着いてしまった。

  そして、そこには写真でみた、新造の豪華客船が大きなビルディングのように目の前に聳え立っていた。

  そもそも、巨大船用の桟橋は、港町のダウンタウンから離れたところにある。
  それは分かっているのですが、それにしても難儀な道中でした。

  しかし、旅はこうでなくちゃ。苦労してたどり着いた、その喜びは大きいのです。

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その2

2.成田には「お見送り団」がお待ち

 出かけるのはシャチョーでも大臣でもない。
 それなのに成田には、多数のお見送りの方々が。

 松戸と船橋に住まいするモンチャンのマゴたちとその親たちである。

 連休でお仕事が休みのパパ、ママに連れられてやってきたのだった。
 ほぼ最終便に近い21時55分発のチェックインが始まる頃には、四連休前日のさしもの大混雑の波も引いて空港は、マゴたちの運動場と化していた。

 「ジイジイ、行っていらっちゃーい」とまつわりつくマゴ族に、モンチャンは、ただただ、だらしなく目じりを下げ続けていました。

 成田には冷たい雨が降り続いていた。

 そして、パリで乗り換えて翌朝9時、ベネツィアの本土側にある空港に着いたときは、まだまだ空は雲に覆われており、海も荒れ模様。空港からベネツィア本島まで乗った水上バスは大揺れであった。
 でも、本島の風景が見えてくるにつれ、徐々に空は晴れ、波も静まってきた。

 マーチャンは「晴れオンナ」なのである。

| | Comments (0)

東地中海は今日も青空 その1

1.それは、突然決めた旅だった

 夏が近づいたらモンチャンと旅に出ようとは思っていた。
 行き先として、ヨーロッパアルプスの南斜面などを漠然と考えていたある日、他のサイトを検索中に、偶然「東地中海クルーズ」のウェブ・サイトがディスプレーに登場した。
 イタリアの船でベネツィア発着の8日間のクルーズ。ギリシャ、エーゲ海を周遊する。これならモンチャンもお気に召すはず。

 神様のお導きである。しかも、その日は締め切り期限ギリギリ。
 こうなっては、問い合わせメールのような、かったるいものとは付き合っていられない。
 直ちに、日本の代理店に電話をする。

 これは人気のツァーなのである。
 この時点では、価格の安い船室は売り切れ。多少奮発して、中程度のクラスを予約する。あと残りの船室は3室。明後日中に払い込みをしないと部屋は確保できないという。

 当節、原油高のため、飛行機代にはアブラ代が上乗せされる。こればバカにならないお値段。しかも、ユーロ高ときている。かなりの金額になる。
 でもねぇ。もう、後期高齢者のモンチャンと、その少し手前のマーチャンには、今後そんなに何回も旅行の機会はないはず。「えいっ」と一気に決めてしまった。

 そんな訳でバタバタと予約をし航空券を買い旅行の段取りができた。

 おまけに、あまり役には立っていないのだが、マーチャンは一応所属するシニアサイトメロウ倶楽部の世話役の末席を汚している。おりしもオンライン総会の真っ最中。しかし、ここまできたらもうみなさんのご好意に甘えるしかないと。そう勝手に決めてしまうマーチャンなのであった。

| | Comments (0)

« September 2007 | Main | August 2008 »