東ドイツ紀行(1986年5月)・その4
第 四 章
ホテルエルフルターホフ
駅の前は市民のいこいの場になっていて気のきいた街路灯とベンチがある。おりしも、仕事のひけどき(東ドイツでは終業時刻は4時)でたくさんの市民がこの広場でぶらぶらしていた。
ホテルは広場をはさんで駅のまん前にある。
フロントでは若い娘さんがにこやかに応対してくれた。英語もひととおり話せるようだ。
日本から持ってきたバウチャーを渡しパスポートをみせて部屋の鍵と朝食のクーポンを受け取れば手続きは完了する。
外観はあまり目立たないが、なかはヨーロッパ風クラシック調で家具、調度のたぐいもなかなかシック、部屋も広い。特にバスルームは我が国のビジネスホテルのシングルルームそのものよりもはるかに大きい。さすがドイツでバスルームのタイルはピッカピッカだ。ただひとつ、ここが東欧であることを物語っているのはトイレットペイパーである。ただし、ソ連のよりはややましだ。もっとも、地球的視野で森林資源の保護を考えれば100%消耗品のペーパーに贅沢する日本こそ責められるべきかもしれない。
夕食は駅のセルフレストランで
日は無理をせず早寝することーーーという方針により夕食は一番近い駅のレストランで済ませることにした。駅にはいくつかレストランがあるらしいがまず手始めにセルフのレストランに行ってみた。隅のほうで観察しているとどうやら先に食券を買い、それぞれのコーナーヘいって食券と引き換えに料理をもらってくる仕組みらしいということがわかった。そこでビールと定食の食券を買うことにして食券売り場の行列に加わった。ここのお客は若い人、年寄り、外国人、とくにAA諸国の人が目だつ。要するに、あまりお金のある人のくるところではないようだ。私の番がきて壁に貼ってあるメニューを指で示すと、白衣をきたレジのおっさんがレシートをくれた。ただし定食のほうはカルトなんとかとヴアルムなんとかとどっちが欲しいのかとたずねられた。多分、コールド、ウオームのどちらかが選べるのだろうと見当をつけてヴアルムといった。
ビールは50円、定食は200円ちょっとだった。ビールはタンクの蛇口から小ジョッキに一杯注いでくれる。定食はお皿に盛り付けてくれる。パンは2つでも3つでも好きなだけ持っていっていいらしい。これらをナイフ、フォークと一緒にお盆に乗せて空いているテーブルに持って行って食べる仕組み。早くいえば西側のセルフの店のまったくかわりない。
みた目には少なくともあまり食欲をそそる料理ではない、盛り付けもいろどりもさえない。その上、フォーク、ナイフはペらペらでステーキなんか切ったら折れそうなしろものだ。量ばかりはやたらと多い。ところが食べてみたらこれが意外に美味しいのである。ハンバーグのきのこソースかけはきのこの香りがよくきいたいい味のソースがかかっていたし、じゃがいもと玉ねぎのいためものもしっかり味がついていておいしい。キャベツとにんじんの酢づけもさっばりしていていい。気がつくと私のお皿のうえはからになっていた。相席の労働者風のおじいさんがしきりになにか話しかけてくれるのだが、いかんせんドイツ語がわからないので「ゼァ、グート」ぐらいしか相槌がうてない。
よく写る西のテレビ
ホテルにもどるとまだ7時だ。部屋にあったテレビをつけてみた。ニュースをやっている。キャスターは熟年の女性でいかにもオバチャンとけった感じのひとだがたんたんと語っている。チェルノブイリという言葉かきこえてくる。画面ではヨーロッパの地図に各地で測定された放射能の価が示されている。言葉はわからなくても何の話題かおよそ見当がつく。これは西側からきている電波なのである。ほかのチャンネルにかえてみた。こちらは東ドイツの放送である。が、さっきの西からの放送のほうが鮮明である。西のニュースは、チェルノブイリの話題につづいて東京サミットの話をしていた。天気予報では東西両ドイツの予報を公平に報じていた。
先刻、車内で会ったエンジニアさんの話では東部の一部地域を除いた大部分の東ドイツで西のテレビ放送が視聴できるとのこと。特に西部地域では東ドイツの放送よりも鮮明に見えるといっていたがその通りであった。なんでも、西ベルリンに電波塔がありそこから強力な電波を送りだしているのだそうだ。当然、東ドイツ国民はこの西の番組をみている。だから、チェルノブイリのこともよく知っている。もちろん、チェコでもハンガリーでも西のテレビ番組は視聴できる。
しかし、西ベルリンのような飛地があるわけではないので、西との国境から遠いところまでは電波は届かない。そのうえ、すべての国民がドイツ語がわかるわけでもない。これをみても、東ドイツが東欧諸国のなかでも特異な立場にあるのがよくわかる。
エンジニアさんもいっていたが東ドイツのひとたちはチェルノブイリのことをひそかに心配しているらしい。しかしポーランドのように声をあげてソ連を非難することはしない。
電波は国境を越える。壁があっても地雷が埋めてあっても。ひとむかし前とは違い政府が情報操作をすることは難しくなってきている。なにもかにも知っていながらこの国のひとは今後もだまっているのだろうか。そんなことを考えているうちに、いつしか眠ってしまった。
合理的な朝食クーポン券システム
5月5日(月)晴れ、日中とても暑い
さわやかにめざめた。支度をすませると早速、開店早々の食堂に急ぐ。朝の早いこの国ではどこのホテルでも6時から食堂があいていて私のような朝型の人間にはおお助かりである。さすが、まだ誰もきていない。若いウエイトレスが手振りでお皿に好きなのものをとってくるようにいっている。テーブルのうえには、チーズ、生ハム、鰊の酢漬け、ヨーグルト、バター、ジャムなどがこぎれいに並んでいる。
これだけならどこの国にもあるビュッフェスタイル、日本式にいえばバイキングスタイルの朝食である。ここのユニークなところは、すべての料理に値札が付いていることである。一皿ごとにではない。ハム、鰊の一切れづつに、バターのひとかけらごとに、である。好きなものをとったらレジにもっていって計算をしてもらい8マルク以内なら朝食クーポン券を渡すだけで可、オーバーしたときは超過分をキャッシュで支払う。コーヒーだけはレジでその旨いっておけばあとから席までもってきてくれる。大概の料理は1マルクぐらいなので8マルクあればほぼ、欲しいものはそろう。コーヒーだけは高くてポット一杯2.7マルクもした。ただしここのコーヒーはモスクワのとは違って本当のコーヒーの味がする。パンは白パンではなく全粒粉を使ったやや黒いパンである。しかし、香ばしくてかみしめると味のあるパンだ。
日本のホテルのパーティー会場などでお皿に残されたたくさんの残り物をみていつも気になっていた私はこれをみてむしろすっとした。ここのホテルではお皿にものを残して席を立つひとはいない。残ったパンにバターをぬりハムをはさんで持ってかえるひと、ポットに残ったコーヒーをジャーに入れて行くひとはたくさんいたし、自分でも同じことをやった。ピクニックのお弁当になるのだ。一旦支払ったあとはいわば自分が買上げたものなので、せいせいどうどうとやっている。(逆に残せば非難される?)。
なお、ドイツの食べ物はまずいときいていたが決してそうではない。生ハム、魚の酢づけなどとくにおいしい。あれだけの文化を築いた国なのだからおいしい料理がないわけはない。なにかの本でバルト海の魚料理、ロストックの生ハムが有名なことを読んだことがある。戦後の混乱期を経てまたこれが復活したのではなかろうか。しかし地元のひとたちがいつもこんなものを味わっているわけではなく外人観光客の泊まるインターホテルに優先的に割り当てられているにちがいない。
エルフルトの街を歩く
朝のうちに街を歩いてみる。ちょうど通勤ラッシュで駅前はひとで一杯だ。みんな、こざっぱりした格好で出勤してくるがなぜかこの国の女性はハンドバッグを持っていない。袋をぶらさげているのだ。商品が十分出回っていないからバッグが買えないからか、あるいは東欧圏特有の買いもの事情、買いたいものをみつけたときにただちに買えるよう買い物袋をもって歩く習慣になっているからか、共稼ぎのため帰りに夕食の材料を買って帰るためか。
エルフルトはハンザ同盟都市として過去栄えた街でありその面影を今もやどしている。壮大な大聖堂が街の西側に聾えたっている。ドーム広場ではおりしも花市をやっていた。しかし、なんとも盛り上がらない市ではある。いわゆる市につきものの熱気か感じられないのだ。やっぱり市というものは社会主義経済とはなじまないものなのであろうか。クレーマ一橋は朝もやのなかにひっそりとたたずんでいた。橋といっても通りのようなもので道の両側には商店もある。フィレンツェのベッキオ橋のような構造だ。ただし橋から受ける感じはまったく違う。これはイタリアとドイツの違いであり社全体制の違いであるのかも知れない。
あまり遅くなってもいけないので、ホテルまで市電でもどることにする。切符をあらかじめ買ってから乗るらしいのだがその近くには切符を売っていそうなところがない。
私がきょろきょろしていると、うば車に赤ちゃんを乗せた若い女のひとがそっと切符を差し出した。あわててお金をもって追いかけたがすでに反対側の電車に乗っていってしまったあとだった。電車に乗ると自分で切符を自動刻印機にいれてガシャツとやる、これは他のヨーロッパ諸国とおなじである。切符は6枚綴り50円であった。
タクシーはなかなか来ない
ホテルをチェックアウトして駅にいく。今日はこれからアイゼナッハ、ワルトプルグ城にいくのだ。国鉄の乗車券は日本とおなじように自動販売機で買う。この自動販売機、自分の行き先の駅の4桁のコードを地図でみつけてテンキーでたたくと運賃がディスプレーに表示される。指示きれたお金をいれると切符がでてくるというなかなか面倒なものだ。日本のように出発駅から280円区間というような考え方をすればずいぶん簡単なのに。
エルフルトからアイゼナッハまでは50分程。駅のコインロッカーに荷物をあずけて身軽になる。ワルトブルグ城までは駅から40分、坂道をのほって行くのだという。往復あるくのでは大変なので片道はタクシーに乗ることにした。それにこの国のタクシーにも一度乗ってみたいし。
タクシー乗り場はすぐ見つかった。3、4人が並んでいるだけだ。長くても15分も待っていれば乗れると思った。ところが、一台来たあと20分ぐらいまったくやって来ない。並んでいる市民には一向いらいらしている様子はない。
いつもこんなものなのだろう。街には乗用車もあまりみかけない。たまにみかけるとやっぱりソ連製のラダーが多く、チェコ製のシコダがそれに次ぐ。かの有名なワルトブルグは一体どこを走っているのだろう。
20分置きに一台ずつしか来ないので私の番がきたのは並んでから70分近くたった頃だった。まだまだこの国にはタクシーは少ないのであろう。「シュロスワルトブルグ」というとタクシーは走りだした。車の少ないこの国では交通渋滞はめったにない。5、6分もすると車は緑したたる山道にはいった。お城より500メートル程手前でタクシーは止まった。ここから先は一般の車は入れないようだ。環境保全のためだろうか。タクシー代は400円ぐらい、チップをすこしのせて渡すと「グーテライゼ」といってドアを開けてくれた。
美しい自然、美しいお城
ここから山道を15分ほど歩くとお城につく。いま、まさに、シェーネマイでありチューリンゲンの山やまは新緑が目にしみるような美しさだ。小鳥の声も楽しげだ。美しいのは自然ばかりではない。まず、観光地につきもののゴミがほとんど目につかない。それから風景美をめちゃめちゃにする、あの俗悪な広告、看板のたぐいがない。
ワルトプルグ城は小高い山のうえに建てられているのでここからの眺めはすばらしい。チューリンゲンの野山が浅みどりに包まれて拙い筆ではとうてい表現できないほど美しかった。私はいつまでもあかずにチューリンゲンの春を満喫していた。これをみただけでもはるばる東ドイツまでやってきた値打ちはある。
お城は900年以上もまえにたてられたもので、どっしりとしたダイナミックな山城だ。いかにもドイツらしい重量感が感じられる。何度も増改築をかさねているらしいが、そういう不自然さはない。2時から専門のガイドによる案内があるというので入場券を買って入り口にならんだ。
ガイド付きのお城見物
2時びったりにガイドが現れた。ジーパンにティーシャツ、その上にヤッケをはおっている。30すぎのやせたインテリ風の男のひとである。切符をみせると「ダンケシェーン」といってなかに案内してくれた。30人ほどの見物客は家族ずれ、老人クラブなど雑多なひとびとであるがみんな至極お行儀がよい。どうやら外国人は私だけらしい。
案内は当然のことながらすべてドイツ語で、これも当然のことながら私にはさっばりわからない。みんな、熱心にきいている。ときどきげらげら笑っているのであまり堅い話ばかりでもなさそだ。
リヒヤルトワグナーの「タンホイザー」の舞台となったモザイクの間、マルチンルッターが新約聖書のドイツ語訳を完成させたルッターの居間、壁には、歌合戦やエリザベート伝説を題材にしたフレスコ画がえがかれている。部屋数だけでも大変なもので、これをひとつひとつ丁寧に案内してくれる。とに角、奥から中世の騎士が現れても、吟遊詩人がたて琴をかかえてでてきても一寸もおかしくない雰囲気のお城だ。一言葉なんかわからなくってもすこしも退屈しない。
行きとどいた市民社会システム
案内が始まって5分ぐらいたった頃である。老人クラブのおばあさんのひとりがその場にふらふらとしやがみこんでしまった。顔色が悪い。このところの暑さで暑気当たりでもしたのであろうか。おばあさんには悪いけどこんな場合この国のひとびとがどう対応するかちょっと興味があった。まず、すぐ近くにいた若い男性と家族ずれのパパがおばあさんを抱き抱えようとした。ところがうまくいかない。
やや重すぎるのである。すぐ、もうひとり手を貸した。案内人はただちに話をやめてこの一隊を誘導して事務室に連れていく。若い女性がおばあさんの荷物をもってついていく。ちょうど、足もとにおばあさんの靴がころがってきたのでそれをもって私もあとにつづいた。おばあさんの仲間のひとりもあとを追う。事務室の脇に小さい部屋があって、ついたての奥にべッドがひとつある。清潔なシーツで覆われており、花柄の毛布がのっている。みんなでおばあさんをここにねかせた。案内人は事務所のひとにおばあさんの世話を引き継ぐとおばあさんの仲間だけをそこに残してみんなとお城のなかにもどった。そしてなにごともなかったようにフレスコ画の説明をつづけた。
なるほど!と感心した。高齢者にとって住みよい社会とは、行きとどいた福祉とは、単に老齢年金が多いとか、医療費の心配がいらないとかいうことだけが条件ではないのではなかろうか。(当然それは必要条件ではあるが)。市民全体で自然な形でこういう人をサポートしていくこと、
これが伴ってはじめていえることだとつくづくおもった。
もうひとつ、わが国の松島や二条城にもこの見学者用の休養室のような救護施設が整備されているのであろうか。
あらためて考えさせられてしまった。
帰路はハイキングで
1時間たっぷりのお城見物をおえて、帰りはみどりの山道をぶらぶらと駅まで歩いた。樹の幹にⅩ印がついていてそれが道しるべになっている。登ってくるひとに行き合うと笑顔で「グーテンターク」と挨拶をする、そのひとなつこさがなんともいえない。
途中、バッハハウスに寄る。ヨハン・セバスチャン・バッハの生家の隣の家で当時の楽器やバッハの手書きの楽譜などが展示してある。晩春の花にいろどられた庭もたのしかった。
17時05分アイゼナッハ発で今夜の宿泊地ワイマールヘ向かう。





Comments
これも気持ちよく読めました。気がついたこと2点お知らせします。(1)これは第4章。でもタイトルのナンバリングが第3章と同じ3となってます。(2)お城から帰る路で樹の幹にあったX印はまさに道しるべ、ハイキングのルート・マークです。ルートの一つ一つに丸やら三角やら四角やら特有の色のペンキでマークをつけてハイキングやトレッキングの道しるべにしているのは後年の日本の自然遊歩道と同じです。
Posted by: e. george | 2008.08.29 at 01:22 PM
第四章でした。
間違っていました。
修正しました。失礼しました。
Posted by: マーチャン | 2008.08.31 at 12:20 PM